サーラの冒険3 君を守りたい! 山本 弘 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)償《つぐな》い |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)親|馬鹿《ばか》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#改ページ] -------------------------------------------------------  目次  1 盗賊《とうぞく》ギルド  2 冒険者《ぼうけんしゃ》の店  3 デルの秘密  4 秘密の扉《とびら》の奥に  5 闇《やみ》の子供たち  6 ゲームプレイヤー  7 死者の告白  8 よみがえる英雄  9 最後の衝撃  10 まだ見ぬ明日へ   あとがき   キャラクター・データ [#改ページ]    1 盗賊《とうぞく》ギルド  少年は半袖《はんそで》シャツと半ズボンという身軽な格好で、壁に叩《たた》きつけられた蛙《かえる》のように、垂直の崖《がけ》にへばりついていた。陽《ひ》を浴びて温かくなった岩壁に腹と胸を密着させ、右手の指を岩のくぼみにひっかけて、懸命にぶら下がっている。か細い左腕をそろそろと上に伸ばして、手探《てさぐ》りで次の手がかりを見つけようとしているが、なかなか見つからない。両足を支えている岩の突起は、つま先が乗るだけの幅しかなかった。今のように片手を離した不安定な状態では、どちらか一方を踏みはずしただけでも、墜落《ついらく》する危険が大きい。  岩の街ザーン——この赤茶けた醜《みにく》い岩山は、四千人を超える人々の生活を包みこんで、周囲のなだらかな丘陵《きゅうりょう》地帯を威圧するかのように、堂々とそそり立っている。その巨大な岩壁にへばりついて苦闘している十一歳の少年の姿は、巨獣の皮膚に止まっている小さな虫のように、はかなく、頼りなげに見えた。  サーラは緊張のために咽喉《のど》が渇き、足が萎《な》えるのを覚えた。ほんの一月ばかり前にも、同様の体験をしたことがある。あの時には悪人から逃げるのに夢中で、墜落することへの恐怖など、ろくに感じている余裕などなかった。おまけに崖は少し傾斜しており、足場も多かった。  だが、今サーラがしがみついている崖は、壁のように垂直で、わずかばかりの凹凸《おうとつ》があるだけなのだ。  崖を登りはじめて十五分以上になる。最初のうちは足がかりも多く、わりと楽に登っていけたのだが、登るにつれて困難さが増していった。ここ一分ほどは同じ場所に釘付《くぎづ》けになっている。体重を支えている右手の指の痛みが、限界に近づいていた。まめが潰《つぶ》れ、白い指先に血がにじんでいる。足の方も同様で、つま先立ちを続けているために、ふくらはぎの筋肉が悲鳴《ひめい》をあげていた。  頭上を探《さぐ》っていた左手が、ようやく小さな三角形の突起に触れた。他には手がかりはなく、これに頼るしかない。小さな手でぎゅっと握り締め、それにぶら下がる。体重をかけてもだいじょうぶそうだと判断して、ゆっくりと左足を浮き上がらせた。左|膝《ひざ》のあたりにくぼみがあるのはすでに確認していたので、膝を曲げながら、つま先を壁に沿って慎重《しんちょう》に滑《すべ》らせてゆく。くぼみを探り当て、そこに足をかける。  しっかり足場を確保したのを確認してから、左足を踏ん張って、体全体を押し上げた。今度は右足を足場から離す。次の足場はかなり右の方の離れた位置にあるので、体を不自然な角度にねじり、右足を大きく振り上げなくてはならない。  両手両足の四点のうち、常に三点を確保しておく——これが落ちないための基本だと、サーラは教えられていた。  あせりと苦痛のために、注意力が散漫になっていたのかもしれない。右足が完全に足場にかかっているかを確認せずに、右手を離してしまった。息を指にふうふうと吹きかけ、痛みをやわらげる。  その時、うまくひっかかっていなかった右足のかかとが、足場から滑り落ちた。振り子のように勢いがついて、体重をかけていた左足にぶち当たる。疲れていた左膝ががくりと折れると、一瞬、全体重が左手にかかった。  手が滑り、サーラは落下した。  体が宙に浮く不安な感覚があったかと思うと、背後から腰を蹴《け》り飛ばされたような強い衝撃が走った。腰に結ばれたロープが、落下の衝撃を受け止めたのだ。痛みに耐えながらも、これまでの経験から、とっさに腕を曲げて頭部をかばった。  ロープはいったん崖から離れるように揺れた後、大きな弧《こ》を描いて、崖の方に戻って行った、。サーラの体は半回転し、尻《しり》から崖にぶつかった。その軽い衝突が勢いを弱める役目をして、ロープの揺れはほとんどおさまった。  サーラははるか上方の岩棚から垂《た》らされた長いロープの先端に、釣《つ》り上げられた魚のようなみっともない格好でぶら下がっていた。 「ようし、下ろせ!」  盗賊ギルドの教育係、アルド・シータが怒鳴《どな》った。頭上の岩棚に待機していた彼の助手たちが、少しずつロープをゆるめる。失敗したサーラは、アルドや他の訓練生たちが待つ地上に、ゆっくりと下ろされた。  左手がひどくすりむけていた。待ち構えていた訓練生の一人が、血止めの包帯を手に巻いてくれた。その間に、腰につけられていた命綱がはずされ、順番を待っていた次の訓練生に渡される。 「よくやったじゃないか、坊主《ぼうず》! 黄ラインまであとちょっとだな!」  意気消沈《いきしょうちん》した少年を迎えたのは、意外なことにアルドの誉《ほ》め言葉だった。がっしりした体格と、雷《かみなり》のような声、それに凶悪《きょうあく》そうな顔にもかかわらず、心底から優しい男だった。サーラは包帯を巻いてもらいながら、頭を上げて、自分が挑《いど》んだ岸壁を見上げた。  登攀《とうはん》練習のゴールである岩棚は、およそ地上六階の高さにある。そこに至る垂直の壁面には、上から順に赤・黄・緑・青の四本のラインが引かれ、五等分されている。最初のうちは足場が多く、登りやすいので、青ラインを越えるのは素人《しろうと》でもできる。緑ラインとなると少し難しくなり、アルドのような熟練した人物の指導が必要になる。上に行くほど困難になり、墜落の危険も増すのだ。サーラは下から三本目のライン、つまり全行程の五分の三近くまでは到達できたことになる。 「でも、あれより先は無理です」  サーラはいつになく弱音《よわね》を吐いた。どうにか黄ライン近くまで行き着けたのが、実力ではなく幸運であることが、自分でも分かっていた。これまで何十回と挑戦し続けているのだが、緑ラインを越えたことは数えるほどしかない。他の訓練生たちはみんな彼より年上で、訓練を受けてきた期間も長く、当然のことながら、みんなサーラよりずっと岩登りがうまい。 「あのあたりで、急に手がかりが減るんです……腕が短いから、手が届かなくて」 「緑ラインの手前で難儀してた時も、そう言ったよな?」 「そりゃそうだけど……」 「なら、黄ラインだってじきに越えられるさ。次は赤ラインを目指《めざ》すこった!」  アルドの根拠《こんきょ》のない楽天主義には、勇気づけられることも多かったが、辟易《へきえき》させられることもしばしばあった。特に今のサーラのように落ちこんでいる時は、誉め言葉がかえって辛《つら》く響く。  もちろん、たっぷり修行を積めば、いつかは登れるようになることは分かっている。盗賊ギルドに入門して最初の日、アルドが見本を見せると言って、岩棚まですいすい登って見せたのだ——命綱もつけずに。  しかし、実際にやってみて、それがどんなに困難なことか、サーラには身にしみて分かった。赤ラインのあたりになると、ほとんど凹凸さえなくなり、まるで鏡の表面のようなのだ。そんなところを登れるのは、とても人間|業《わざ》とは思えなかった。岩棚に到達できるようになるには、何年もかかりそうな気がする。  失敗なんて気にするな、とアルドは言う。しかし、練習だから失敗が許されるのであって、本当の冒険での失敗は、ただちに死を意味するのだということが、サーラにもよく分かっていた。だからこそ、気が重くなるのだ。 「何にせよ、その手じゃ今日はもう無理だな。中に入って鍵《かぎ》開けの練習でもしてろ」 「はい……」  サーラは肩を落とし、とぼとぼとその場を離れて、岩山の内部に通じる盗賊ギルド専用の秘密の通路に向かった。アルドはすでに次の訓練生の指導に忙《いそが》しい。大声を張り上げ、手をかける場所を教えている。  立ち去りぎわ、順番を待つ訓練生たちの列から離れて、一人で黙々と練習している、自分と同年代の子供とすれ違った。ロープも何も着けず、岩壁に駆け寄って猫のように飛びつき、素早《すばや》く二階ぐらいの高さまでよじ登っては飛び降りるという単調な行為を、さっきから何度も繰り返している。  飾り気《け》のない黒いシャツと黒いズボン、それに黒いぼさぼさの髪のために、男の子のように見えるが、実は女の子だということをサーラは知っていた。それ以外に知っていることは、名前がデルで、アルドの一人娘だということだけだ。  アルドは公正な人物で、自分の子供だからと言って特別扱いはしていなかった。サーラや他の訓練生たちとまったく同じように教えている。デルが訓練生の中でも孤立した存在なのは、彼女自身の性格のせいだった。  デルは自分の身長の倍以上の高さから後ろ向きに飛び降り、猫のように優美なしぐさで着地した。と、いつの間にかすぐそばにサーラが来ていることに気がつき、はっと困惑《こんわく》したような顔をした。  いつものように、その表情は読みにくい。練習しているのを見られて恥ずかしがっているようでもあり、男の子に近寄られたのでおびえているようにも見える。何とも不安そうな表情なのだ。間近で顔を合わせるたびに、サーラは彼女が急に泣き出すのではないかという、根拠のない危惧《きぐ》を覚えた。  サーラは声をかけなかった。返事がないのは分かっていたからだ。最初のうち、目に見えない障壁を破ろうとして、何度か話しかけたものの、「ええ」とか「まあね」といったあいまいな返事ばかりで、意味のある言葉が返ってきたことはない。まるで、いっぺんに三語以上の言葉を発音するのが重労働であるかのようだ。  そんなわけで、出会ってからもう四週間になるというのに、サーラはこの奇妙な少女について、ほとんど何も知ってはいなかった。  デルは不安そうに顔をそむけ、岩壁に向き直った。サーラは気まずい雰囲気を感じながら、彼女の背後を通り過ぎた。少し行ってから振り返ると、彼女はまた岩壁に向かって、孤独な練習を続けていた。 「ほんとに変な子だな……」  その場から歩み去りながら、サーラは自分にしか聞こえないようにつぶやいた。こうつぶやくのは、もう何十回めだろうか。  彼女のことは疑問ではあったが、あえて詮索《せんさく》しようという気は起こらなかった——詮索している余裕などないほど毎日が忙しかったし、知らなければならないことは他にもたくさんあったからだ。  ザーンの盗賊ギルドに入門して、一か月が過ぎようとしている。  もともと、サーラは盗賊ギルドなんかに関わり合いになるとは、夢にも思っていなかった。彼の目標はあくまで冒険者《ぼうけんしゃ》になることであり、盗賊になることではなかった。エルフの盗賊ミスリルの勧めで、渋々ながら、入門を決意したのだ。「冒険者になるには盗賊の修行が役に立つ」と説得されたからだ。  貧しいが治安《ちあん》のいい田舎《いなか》の村で暮していた少年には、「盗賊」という概念そのものが、よく分かっていなかった。他の村人たちと同様、人から金を奪うのは悪い行為だと、単純に思いこんでいたのだ。  ところが、この街にやって来て、考え方の変更を迫られることになった。ザーンのような豊かな都市においては、盗賊はそれほど悪い職業とは考えられていないのだ。  都市に住む盗賊たちには、彼らなりの誇りがある。田舎を縄張りにする野蛮《やばん》な山賊《さんぞく》どもとは違う、という誇りだ。暴力をふるって農民からなけなしの財産を巻き上げる連中と同一視されるのを、彼らは極端に嫌っている。だから、なるべく暴力を使わず、標的として選ぶのも金持ちばかりなのだ。少しばかりの金を盗《ぬす》まれても痛くも痒《かゆ》くもない、裕福な商人や貴族が、この街にはごろごろいる。  名のある盗賊が、金持ちの家の警備の裏をかき、金や宝石を盗み出すと、民衆はその快挙に喝采《かっさい》を送る。被害に遭《あ》った金持ちたちは、渋い顔をするものの、犯人を捕らえようとは思わない。衛視《えいし》たちの当てにならない捜査に期待したり、盗賊に懸賞金を掛けたりしても、盗まれた品が戻ってくる可能性はほとんどないからだ。それより、盗賊たちを統率《とうそつ》する裏の組織——盗賊ギルドに連絡を取り、価格の何割かを支払って、盗品が裏のルートに流れる前に買い戻す方が確実だ。もちろん損はするが、まったく戻って来ないよりはましである。  もっと頭のいい金持ちたちは、あらかじめ盗賊ギルドと密約を交わしている。毎年、いくばくかの金をギルドに�寄付�し、自分の家を襲《おそ》わないようにしてもらっているのだ。その他にも、たとえば商売敵を妨害するために、大事な書類や品物を盗み出すことをギルドに依頼する場合もある。金持ちたちと盗賊ギルドは敵同士ではなく、持ちつ持たれつの関係にあるのだ。  時たま、他の街の盗賊ギルドに所属する盗賊や、どこのギルドにも属さないフリーの盗賊が、ザーンにやって来て�仕事�をすることがある。いわゆる「縄張り荒らし」だ。ましてその被害者がギルドと契約を結んでいる金持ちだったなら、ギルドの面目《めんもく》は丸つぶれになる。そういう場合、盗賊ギルドはその緻密《ちみつ》な情報網を駆使《くし》して、犯人を探し、捕らえ、処罰《しょばつ》しようとする。  サーラをひどく混乱させたのは、そのパラドックスだった。このザーンでは(他の街でもそうかもしれないが)、盗賊ギルドの存在が盗賊行為の歯止めになっているのだ。  そんなわけだから、国王でさえ盗賊ギルドの存在を黙認せざるを得ない。盗賊ギルドが消滅すれば、無秩序な盗賊行為が横行《おうこう》し、街の治安は大きく乱れるだろう。それに盗賊ギルドの支配力は大きく、有力な貴族や商人とも密接に結びついている。もしギルドの反感を買えば、様々《さまざま》な政治工作によって窮地《きゅうち》に追いこまれるだろうし、へたをすれば生命の危険さえあるのだ。  大金を積みさえすれば、ギルドは暗殺も請け負うと言われている——その噂《うわさ》が本当かどうか、サーラはおそるおそる質問したことがあった。アルドは意味ありげに笑って、「今はそんなことは知らなくていい」とごまかした。ミスリルに訊《き》いても同じだ。  結局サーラは、これもまたよくある、大人たちがはっきり答えたがらない質問(「王様はどうして偉いの?」「赤ん坊はどこから来るの?」など)のひとつだと納得《なっとく》するしかなかった。  いずれ大人になれば真実が分かるのだろう——たぶん。  盗賊ギルドの訓練場は、ザーンの下層、地表よりも低い区域にあり、あまり部外者の目に触れることはない。岩登りの訓練を行なう崖にしても、地上からは深い森と岩場にはばまれて近づきにくく、岩山の下をくぐる秘密の隧道《すいどう》を通らなくてはならない。  訓練生の総数は約三十人。十代の若者が中心である。その境遇は様々だ。デルのように父親の跡を継ぐために入門させられた者。サーラのように冒険者になるための修業をしている者。非行が目に余るため、鍛《きた》えてやってくれと両親に預けられた者。強くなることにあこがれ、自《みずか》ら望んで入門した者。身寄りがなく、街でスリを働いているところをスカウトされた者……中には三十を過ぎており、現役の盗賊として活躍していながら、自らの未熟さを自覚して、ギルドの指導で腕を磨《みが》き直そうと舞い戻って来た者もいる。  授業料は安くはないが、貧乏な者が多いので、後払いが許されている。訓練過程を卒業し、一人前の盗賊になってから、�稼ぎ�の一部から返済していけばいいのだ。その後、ギルドから抜けるのは自由である。ギルドに留まり続けるなら、ギルドの様々な恩恵を受けられる代わり、毎年、銀貨一〇〇〇枚を納めなくてはならない。  借金を滞納したり、返済しきる前に逃げ出そうとした場合は、懲罰《ちょうばつ》を受けると警告されていた。だが、具体的にどういう罰なのかは、訓練生たちは知らない。分かっているのは、罰を受けた者は別人のように変わってしまい、二度と逃げ出そうという気が起こらなくなる、ということだけだ——具体的に教えてしまうより、子供たちの過敏な想像力を刺激し、恐怖心をあおった方が、予防策として効果的だからだ。  訓練生たちは、年齢層によって三つのグループに分けられていた。サーラが編入されたのは下級組、つまり十代前半のグループである。もちろんグループの中では最年少だ。デルでさえ、一つ年上なのである。だから自分を周囲の人間と比較し、劣等感を抱《いだ》いてしまうのは、どうしようもないことだった。  入門していきなりやらされたのが、高いところから落下する訓練である。大きなドーム型の部屋で、天井《てんじょう》まで届く高い梯子《はしご》に登らされ、そこから飛び降りろと言われたのだ。床には薄い敷物が一枚敷いてあるだけである。  着地の瞬間に足腰を曲げて、衝撃を体全体で吸収するようにすれば、高いところから落ちても怪我《けが》はしないのだ——という説明だったが、頭では理解できても、体が言うことをきかない。三分あまりためらった末に、勇気をふるって飛び降りたものの、案の定《じょう》、膝《ひざ》を曲げるのが遅れ、尻餅《しりもち》をついたうえ、足首を少し痛めてしまった。しかし、アルドや訓練生たちは拍手で称賛してくれた。  後で聞かされたのだが、その落下の訓練は、新入りの子供が必ず最初にやらされる儀式のようなものだったのだ。どのぐらい度胸《どきょう》があるか、見極めるためのテストなのである。  中には、何十分|経《た》っても飛び降りることができず、梯子の上で泣き出してしまう子供もいるという。そういう子供は一日目で落第で、訓練所から放り出される。三分しかためらわなかったのは、上出来の部類だという。  練習を重ね、自分の身長の倍ぐらいの高さから落ちても平気になると、今度は高いところによじ登る訓練に移る。素手《すで》による崖登りはその一例で、ロープを素早《すばや》くよじ登ったり、樹木や煉瓦《れんが》の塀《へい》を登るコツも教わる。故郷の村でよく木登りをやっていたサーラだったが、盗賊ギルドでの訓練は子供の遊びとはまったく比較にならず、スピードと正確さを要求されるのだった。  その他にも、長い棒を使って壁や溝《みぞ》を跳《と》び越える方法、ロープを渡って建物から建物へと移動する方法、足音を立てずに歩く方法、物蔭《ものかげ》に身を潜《ひそ》める方法なども教えられる。いずれも、盗賊の�仕事�には欠かせない技術だ。  しかし、サーラを最も困惑《こんわく》させたのは、殺人の訓練だった。 「相手を殺そうとする時、いちばん気をつけなくてはならないことは何だ?」  訓練の最初にいきなりこんな質問をされ、サーラはとまどった。 「ええと……返り血を浴びないようにする……?」 「違う!」アルドは首を振った。「いちばん気をつけなくてはならないことはだな、相手に殺されないようにすることだ[#「相手に殺されないようにすることだ」に傍点]!」  周りで聴《き》いていた訓練生たちがどっと笑った。この質問もまた、新入りが最初に答えさせられる、一種の儀式なのだった。 「笑いごとじゃないぞ!」アルドは自慢の大声で少年たちに言い聞かせた。「こんな単純な原則でも、戦闘の時には頭に血が上って、忘れてしまうことがある。窮地《きゅうち》に追いこまれ、何とか劣勢を挽回《ばんかい》しようとあせってしまう。あげくに、がむしゃらに敵に突っこんで自滅する。勝っている時はその逆で、自分の強さに酔いしれてしまい、自分を不死身《ふじみ》だと思いこんで無謀《むぼう》なまねをする。その油断をつかれて、あっさり殺される……そんな風に愚《おろ》かな死に方をした奴《やつ》を、俺は何人も見てるんだ。  戦闘の時、どれだけ冷静さを保っていられるかが、生死の分かれ目になる。絶対に無謀なことはするな! 何よりもまず、殺されないようにすることを考えろ! 敵の攻撃はよく見て、必ずかわせ! 生きているかぎり勝てる機会はあるが、死んでしまったらおしまいだ。最後まで生き残った者だけが勝利者になれるんだ。  どうしても勝てない敵なら、さっさと逃げろ! 名誉なんて気にするな。俺たちは盗賊だ。騎士《きし》じゃない。騎士みたいな礼儀正しい戦い方をすることはないんだ!」  それからアルドは、サーラに盗賊らしい�汚《きたな》い�戦い方を伝授してくれた。 「お前はまだヒヨッコだ! 力なんかありゃしない。だから戦士が持っている大きな剣や斧《おの》なんか、決して振り回そうと思うな。振り回すのがせいいっぱいで、当たるわけなんかないからな。一度振り下ろすと、次に振り上げるまでの間に隙《すき》ができて、そこをやられてしまう——お前が使う武器は、これだ」  アルドが示したのは、細長いダガーだった。刃は先細りになっていて、まさに草の葉のような形である。薄いが丈夫な鋼鉄でできており、手入れが行き届いているらしく、刃は一点の曇りもない。 「軽くて自由に振り回せるのが利点だ」  そう言いながら、アルドはダガーで空を斬《き》って見せた。舞いのような優雅な動きと、素晴《すば》らしい速さに、サーラは目を丸くした。 「戦士が持つようなソードとは、扱い方がまったく違う。ソードが重さと勢いを利用して強引《ごういん》に斬るのに比べて、これは速さで斬るんだ。こんな小さな武器でも、使い方しだいでは、ホプゴブリンぐらい一撃で殺すことができる。もちろん、堅い鎧《よろい》を貫くような真似《まね》はできないが、薄くて細いから、鎧の隙間を突くことができる。肋骨《ろっこつ》をへし折るのは無理だが、肋骨の隙間に差しこんで、心臓を貫くことはできる。  がむしゃらに突いても無駄《むだ》だ。狙《ねら》うのは二|箇所《かしょ》——咽喉《のど》と心臓だ。心臓は腕や鎧で守られてることが多いし、相手が動物の場合には腹を見せることはあまりないから、おもに咽喉を狙うことになるな。もっとも、これはその場の状況《じょうきょう》しだいだ。心臓の方が狙いやすいようなら、心臓を狙え。  もちろん、敵もじっとしちゃいないから、うまく隙をつく必要がある。攻撃と攻撃の合間には、必ず隙ができるから、そこを狙って飛びこむんだ。一撃を浴びせたら、成功でも失敗でも、すぐに飛びのけ。さもないと逆襲をくらうぞ」  さらにアルドは、様々な状況でのダガーの使い方を教えた。仲間が戦っている間に、敵の背後に回りこんで、脇腹《わきばら》から心臓へと突き上げるやり方。油断している見張りに背後から忍び寄り、咽喉をかっ斬るやり方。自分と同じくダガーを使ってくる敵と出会った時、相手の攻撃を払いのけながら懐《ふところ》に飛びこむやり方……。  講義の後は練習だった。二人一組になり、実戦を想定して、ダガーで突き合うのだ。もちろん本物のダガーは危険すぎるので、木でできたダミーを使う。中にはおもりが詰めてあって、本物と同じ重さに調整されており、形も本物に似せてあるが、刃の部分には綿を詰めた布の袋がかぶせられている。  それでも、興奮してくると練習であることを忘れ、本気で殺しかねない勢いで激しく突き合うのだから、怪我《けが》は絶えない。一時間の練習が終わると、腕や額《ひたい》から血を流している者が、必ず何人かいるのだった。  最初の日、サーラはデルとペアを組まされた。女の子相手に戦うことに多少のとまどいを覚えたが、どうせ練習なのだからと割りきることにした。  二人は向かい合って立った。デルの表情は、相変わらず読むことができない。うつむいていて、動作はのろのろしており、やる気がないかのように見えた。  しかし、「はじめ」という合図《あいず》がかかったとたん、サーラは彼女の思いがけない面を目にすることになった。  速いのだ——いや、単にスピードが速いというのではなく、動きが激しいのだ。その眼は怒りに燃えていた。まるでサーラが親の仇《かたき》ででもあるかのように、異常なまでの激しさで攻撃してくる。  その速さというよりは気迫に押されて、サーラはよろよろとぶざまに後退した。アルドから受けた講義を思い出している余裕などない。顔面めがけて突き出されるダミーを避けようと、とっさに顔を腕でかばったとたん、がらあきになったみぞおちに、デルの蹴《け》りが命中した。  バランスを崩《くず》し、サーラは後ろ向きにひっくり返った。半回転してうつ伏せに倒れ、みぞおちを押さえて苦痛にうめく。デルはかまわずその背中に覆《おお》いかぶさり、少年の金髪をわしつかみにして顔を上げさせると、咽喉《のど》にダミーの刃を当てがった。サーラはまったく抵抗できなかった。 「サーラ、お前は死んだぞ!」  アルドが笑いながらそう宣言した。「はじめ」の声がかかってから、十秒ぐらいしか経《た》っていない。  その日だけで、サーラはデルに九回も�殺され�た。ようやく練習が終わった時には、全身にすり傷や痣《あざ》ができていた。シャツの腹やズボンの尻《しり》には、デルのブーツの足跡がくっきり残っていた。  それ以来、サーラがこの少女を快く思わなくなったのも、無理からぬことだろう。 [#改ページ]    2 冒険者《ぼうけんしゃ》の店  盗賊《とうぞく》ギルドの訓練は早朝に開始され、昼を少し過ぎた頃に終わる。一日じゅう続けても疲れるだけで成果があまり上がらないという理由もあるが、訓練生の多くが他に職を持っているせいもある。また、一週間のうち七日目は休みと定められており、子供の肉体を酷使《こくし》しないように注意されていた。  サーラはいつものように公衆浴場で汗を流してから、ねぐらにしている「月の坂道」事に帰った。 「ただいまー」  店の扉を開けると、カウンターでジョッキを磨《みが》いていた初老の男が顔を上げた。この店の主人のジムズである。 「お帰り……裏からエールの樽《たる》を出しといてくれ」 「はあい!」  サーラはエプロンをつけると、店の奥の貯蔵庫に飛んで行った。自分の体重よりも重い樽を転がして戻ってくる。 「それが終わったら水汲《みずく》みだ。頼むぞ」 「はあい!」  休む間もなく、大きな桶《おけ》をかついで、店の外に飛び出してゆく。このザーンでは、水は岩山の頂上の貯水池にたくわえられており、岩山の内部を螺旋《らせん》状に貫いている細い水路を通って、少しずつ流れ落ちている。街の各所に水汲み場があって、市民なら誰でも無料で利用できるのだ。 「月の坂道」から近くの水汲み場まで、普通に歩けば一分もかからない距離である。しかし、水をいっぱいに汲んだ桶を持って戻るのは、十一歳の少年には重労働だ。通行人をよけつつ、途中で何度も休みながら、よろよろと危《あぶ》なっかしい足取りで戻ってくるので、五分以上もかかってしまう。  何往復もして、厨房《ちゅうぼう》にある大きな水瓶《みすがめ》をいっぱいにすると、さすがにくたくたになって、椅子《いす》にへたりこんでしまう。背骨がひどく痛む。ジムズも同情して、十分ほどの休憩を認めてくれる。  ひと休みすると、さらに多忙な労働が待っている。陽《ひ》が西の空に傾き、店がいよいよ忙《いそが》しくなる時間帯なのだ。 「サーラ、ぼけっとしてないで、ジャガイモの皮をむいとくれ!」  料理人のアニータが声をかける。この太った中年女性は、口が悪くて気が強いところがあるものの、本質的に悪い人間ではない。しかし「子供は甘やかしちゃダメになる」というのが口癖《くちぐせ》で、小さな少年を怒鳴《どな》りつけて働かせるのを、ごく当然のことと思っていた。サーラは必要以上にこき使われたり、意地悪されることはなかったものの、誉《ほ》められたり、親切にされることもなかった。  サーラは貯蔵庫からジャガイモを四、五〇個ほど籠《かご》に入れて戻って来ると、よく水で洗い、包丁で皮を剥《む》くという面倒《めんどう》な作業にとりかかった。最初は慣れなくて、指を切ったり、一時間ほどもかかってしまったが、最近では包丁の使い方もうまくなって、三十分ぐらいで済ませられる。芽を取って皮を剥いたジャガイモは乱切りにして、他の野菜といっしょに大鍋に放りこむ。 「それが終わったら、魚の鱗《うろこ》を取るんだよ!」 「はあい!」  サーラはなかばやけくそで力強く返事した。元気よく返事しないとアニータに叱《しか》られるからではなく、大声を出して自分自身のやる気を奮《ふる》い起こすためだ。  サーラにしてみれば、アニータが悪人でないのが、かえってもどかしかった。心底から意地悪な人物なら、憎しみを燃え上がらせ、それをバネにして奮起することもできる。しかし、アニータは仕事の不手際《ふてぎわ》を叱ることはあっても、少年を罵《ののし》ったり殴《なぐ》ったりすることは決してない。厳しいのがうわべだけであるのが分かっているだけに、彼女を憎むことはできず、仕事への熱意を持続させるためには、大声でも出さないとしかたなかった。  もうちょっとの辛抱《しんぼう》だぞ、とサーラは自分の小さな体に言い聞かせた。明日は盗賊ギルドの訓練は休みだから、ゆっくり寝ていられる。今晩さえ乗り切れば、久しぶりに骨休めができるんだ……。  夜が更《ふ》けるにつれて客が増えてくると、厨房《ちゅうぼう》から出て給仕に早変わりする。客の注文を聞き、テーブルに酒や料理を運ぶのだ。経験を重ねた冒険者《ぼうけんしゃ》たちの会話は面白《おもしろ》そうで、聞きたくてしかたないのだが、「テーブルのそばにはうろうろせず、用が済んだらすぐに立ち去るのがこういう店の礼儀だ」とジムズにたしなめられていた。中には聞かれたくない密談を交わしている者もいるからだ。  その他にも、ジョッキを磨いたり、客が立ち去った後の食器を片付けたり、テーブルを拭《ふ》いたり、追加の酒を倉庫から取ってきたり、客が誤ってひっくり返した料理を掃除したり……といった細々《こまごま》した作業があった。中には悪酔いして、床《ゆか》に吐いてしまう困った客もいる。その始末をするのもサーラの役目だ。  目の回るような忙しさの合間を縫《ぬ》って、厨房の隅で慌《あわ》ただしく夕食をかきこむ。たいていは料理の残りだったが、ただで食べさせてもらっているのだから文句は言えない。それに「アニータの口はザーン一悪いが、料理はザーン一うまい」という定評があった。  閉店の時刻になっても、サーラの仕事は終わらない。椅子を片付け、汚れた食器を洗い、厨房を掃除し、ゴミを廃棄口に捨てに行かなくてはならない。  結局、サーラが眠りにつけるのは、真夜中を過ぎてからだった。  サーラは疲れた体をベッドに横たえていた。しかし、靴《くつ》を脱いだだけで、まだ寝間着に着替えていないし、眠ってもいない。うつ伏せになり、盗賊ギルドで渡された錠前《じょうまえ》の模型を手に持って、薄暗いランプの光の下で、先端がL字形になった工具で鍵《かぎ》を開ける練習をしている。 「ほんとにお前、よく続くよな」  ミスリルは椅子の背に肘《ひじ》をつき、あきれたように言った。エルフ族の出身だが、ダークエルフの血が混じっており、肌は異様に黒い。サーラが冒険者になろうと決意したのは、彼との出会いがきっかけだった。 「月の坂道」事は宿屋を兼ねた酒場で、二階には九つの客室が並んでいる。そのうちの三つの部屋は、店の前の通路をまたぐ格好で配置されており、東側の壁には明かり探《さぐ》りの窓があった。そのうちの一つがミスリルの部屋で、サーラはここに寝泊りさせてもらっているのだ。  食費と部屋代の分だけ店で働きたいと言い出したのは、サーラの方だった。ミスリルは驚いて「気を使うなよ、部屋代なんていらないから」と言ったのだが、盗賊ギルドへの入会を斡旋《あっせん》してもらったうえに、食事や宿まで面倒《めんどう》を見てもらうのは、さすがにサーラのプライドが許さなかった。子供扱いして甘やかして欲しくなかったからだ。  結局、その熱意に負けて、ミスリルはサーラが店の手伝いをすることを認めた。主人のジムズとしても、かねてから人手不足を感じていたので、サーラの申し出を喜んで受け入れた。給料は出せないが、食事はただ、部屋代は半額という条件だ。  事実上、サーラはすでにこの街で自活しているわけである。 「続かないと思ってた?」  厄介《やっかい》な錠前と悪戦苦闘しながら、サーラは言った。昼間、まめが潰《つぶ》れたので、指には包帯を巻いていた。ただでさえ難しい作業なのに、包帯のせいで指の感触が鈍《にぶ》って、なかなか思うようにいかない。 「ああ——正直なところ、三日も続かないんじゃないかって気もしてた」  サーラは苦笑した。「信用ないんだなあ。僕はそんなにヤワじゃないよ」 「だが、最初の何日かは苦しそうだったじゃないか? ギルドと店の掛け持ちで、体を壊《こわ》すんじゃないかって、デインやフェニックスたちが心配してたんだぜ」  自分も心配していたことは、ミスリルは言わなかった——わざわざ口にするまでもないことだった。 「うん、最初はきつかったよ」サーラは肩をすくめた。「でも、働いてるうちに慣れてきちゃった。仕事の内容を覚えたら、体が勝手に動くんだもん」 「疲れないか?」 「疲れることには変わりないけど、疲れることに慣れたって感じがする。体は疲れるけど、心は疲れないっていうか……」 「は! 生意気なことを!」ミスリルはにやにや笑った。「まるで疲れることを楽しんでるみたいだな」 「うん、楽しいよ。生きてるって感じがするもん」  痩《や》せ我慢《がまん》ではなかった。毎日が本当に楽しいのだ。盗賊ギルドの訓練で疲れることは、修行をしているという充実感を与えてくれるし、酒場の手伝いで疲れることは、大人のように自活しているという自負を満足させてくれる。忙しい一日が終わるごとに、本物の冒険者に一歩ずつ近づいている、という実感が湧《わ》いてくるのだ。  もっとも、不安やあせりがないわけではない。特に盗賊ギルドでの修行に関しては、教えられたことは多いものの、身についたものは少ない、という感じがした。いつになったら、怪物を一撃で倒せるような強い戦士になることができるのか。女の子との格闘で負けるようでは、その日はまだまだ遠いように思えた。 「ああ、だめだ! どうしてもうまくいかない」  サーラは苛立《いらだ》って、ベッドの上に起き上がった。さっきから二十分近くも試しているのに、どうしても錠前が開かないのだ。 「どれ、貸してみろ」  ミスリルが手を差し出した。サーラはいまいましい錠前を彼に手渡した。ミスリルはそれを手の中で転がし、懐《なつ》かしそうに目を細めた。 「三本シャフトか。俺も昔、こんなので練習したっけ……」 「ミスリルも苦労したの?」 「もちろんさ。最初からうまくできる奴《やつ》なんていやしない。だが、コツさえつかんじまえば簡単さ」 「教えてよ!」サーラは身を乗り出した。「そのコツ、教えて!」  ミスリルは困惑《こんわく》して顔をしかめた。 「コツってのは、口で説明できるようなもんじゃないんだけどな……錠前の構造は習ったよな?」 「うん」  サーラはうなずいた。鍵《かぎ》開けの授業の最初の時間に、模型を使って説明を受けた。本物の錠前の五倍も大きく、木でできていて、二つに割って内部構造が見せられるようになっているやつだ。それが開かれたとたん、この世の秘密の一端をかいま見たような気がして、どきどきしたのを覚えている。  典型的な錠前は、大まかに二つの部分に分けられる。円筒形のシリンダーと、それを取り囲む外枠だ。シリンダーが回転すると、掛け金がはずれ、扉《とびら》が開く。  外枠とシリンダーには、それぞれ三個の穴が開いており、そこに三本の金属製のシャフトが差しこまれている。シャフトが下まで降りた状態では、それが歯止めになって、シリンダーは回転することができない。これが「鍵がかかっている」状態だ。  それぞれのシャフトは、長さの異なる二本のシャフトをつないだものである。シャフトの下部は鍵穴の内側に突き出ている。鍵を鍵穴に差しこむと、鍵に刻まれた凹凸《おうとつ》に応じて、三本のシャフトはある高さまで持ち上げられる。正しい鍵であった場合、シャフトのつなぎ目が、外枠とシリンダーの隙間《すきま》の高さに一致する。この状態で鍵を回せば、シリンダーは回転するわけだ。  鍵なしで錠前を開けるには、�耳かき�と呼ばれる、先端がL字形になった細い工具を鍵穴に差しこみ、シャフトを一本ずつ押し上げてやればいい。もちろん、ただ押し上げただけでは、工具を離すとシャフトはまた降りてきてしまう。しかし、うまくかき上げてやると、シャフトのつなぎ目がシリンダーと外枠の隙間にひっかかり、降りてこなくなる。  この操作を三本のシャフトについて行なえば、錠前は開く…‥。  言うは易《やす》し、である。鍵穴を覗《のぞ》いても、シャフトの状態などよく見えないから、作業はすべて手探りでやらなくてはならない。シャフトがうまくひっかかったかどうかは、すべて指の感触で確かめるのだ。 「それ、貸してみな」  サーラから�耳かき�を受け取ると、ミスリルはそれを鍵穴に差しこんだ。 「いいか? シャフトがうまくひっかかったかどうかは、手ごたえで見分ける。ひっかかったら、シャフトが半分しか降りてこないから、軽く感じるはずだ」 「理屈は分かるけど、そんな微妙な感じなんて、分からないよ」サーラはぼやいた。 「�耳かき�を強く握りすぎてるからだ。軽くつまむようにして持った方が、感触がよく分かる。持つというより、支えるという感じだな」 「ふうん……」 「それと、左手でシリンダーに軽く力をかけてやる。たいていのシリンダーは右に回転する構造になってるから、ほんのちょっと右に回してやると、外枠とシリンダーの間にずれができて、そこにひっかかる……」  そう言いながら、ミスリルは�耳かき�で鍵穴を探《さぐ》った。カチャカチャという音がしたかと思うと、ほんの数秒で錠前は開いた。  サーラは目を丸くした。「すごおい!」 「盗賊なら誰でもこんなのは開けられるさ」おおげさに感心されたので、ミスリルは苦笑した。「複雑な錠前になると、シャフトが五本とか七本とかのやつもある。シャフトがひっかかりにくいように、シリンダーの穴のてっぺんを削ってあるやつとかな。そういうのは俺でも苦労する。それに、そういうややこしい鍵には、罠《わな》が仕掛けてあることも多いから、油断できん」 「罠?」 「ああ。たとえば、バネ仕掛けで毒針が飛び出してくるやつがある。シャフトが一定以上の高さまで持ち上がると、掛け金がはずれて……ビュッ! 作業中の盗賊の顔面めがけて針が発射されるんだ」 「そういうのはどうするの?」 「注意して見てれば分かるさ。針の飛び出してくる穴が、必ず隠してあるからな。その穴に木片を詰めてしまえばいい——だが、そんな単純な仕掛けばかりとは限らない。特に古代王国時代の遺跡には、ものすごく凝《こ》った構造の罠があったりするからな。気を抜けないんだ。俺が出会った中で最高に凶悪《きょうあく》だったのは、扉を開けると天井《てんじょう》が落ちてくる仕掛けだったな。ものすごい重量のある石の天井が、ややこしい歯車仕掛けをたどって、たった一本のピンで支えられてるんだから驚くぜ。  その罠の解除法が、またすごかった。開き方が見かけと逆なんだ。分かるかな? ノブの下に付いてる鍵穴はダミーで、蝶つがいの近くに隠してある本当の鍵穴に鍵を差しこんで、そっちから開けなくちゃいけないのさ」 「へーえ……」サーラは感嘆《かんたん》した。「昔の人って、用心深かったんだね」  ミスリルは苦笑した。「用心深かったわけじゃないさ。古代王国時代には魔法《まほう》が日常|茶飯事《さはんじ》に使われてた。だから鍵なんてたいして意味がなかった。魔法使いがごろごろいたから、魔法でいくらでも鍵を開けることができたのさ。それで扉に罠を仕掛ける風習が広まったんだ。たぶん、いたずら半分でそこらの鍵をはずそうとする不心得者《ふこころえもの》が跡を絶たなかったんだろうな。そういう連中に警告を与えるために、罠はどんどん複雑になり、悪質になっていったわけだ」 「ふーん……」  勉強になるなあ、とサーラは思った。歴史なんて退屈《たいくつ》な学問で、そんなものを研究するのはよほどの変人に違いないと思っていたのだが、こんな風にミスリルから聞かされると、何だかわくわくしてくる。きっと賢者《けんじゃ》と呼ばれる人々も、こういう高揚感を味わいたくて本を読んでいるのだろう。 「昔の人が知恵を絞ったんだね。そんなすごい鍵、開ける自信ないなあ……」 「当たり前だ!」ミスリルは笑った。「俺だって難儀するのに、お前にそう簡単に開けられちゃ、顔が立たん!」 「分かってるよ。とりあえず、この三本シャフトを開けられるようにならないとね」 「そういうことだ——でも、あんまり無理せずに早く寝ろよ。体を壊したら何にもならんからな」 「だいじょうぶ。明日は訓練は休みだから、早起きしなくてもいいし……これが開けられるようになるまで、がんばってみるよ」  そう言ってサーラは、また錠前を開ける練習に戻った。ミスリルは少年の健気《けなげ》な姿に微笑《ほほえ》みを投げかけ、自分は寝る準備をしはじめた。  その時、ドアがノックされた。 「どうぞ」  隣の部屋に泊っているレグかフェニックスが、いつものように世間話にやって来たのだろうと思い、ミスリルは気軽に返事した。 「よお、サーラ」  気安く入ってきたのは、背の高い黒髪の少年だった。 「ダビー……!」  意外な来客にサーラは息を飲んだ。彼と同じく、ギルドで見習い中の盗賊の卵である。サーラより四つ年上で、下級組をたばねるリーダー的存在だった。  初めて会った時から、サーラはこのたくましい少年に対して、強い敵意を抱《いだ》いていた。アルドが「この子が新しく入ったサーラだ」と訓練生たちに紹介した時、「ひゃー、女みたいな名前だな!」と叫んで笑いの渦を巻き起こしたのが、このダビーだった。いちばん気にしていることを言われ、サーラは耳まで真っ赤になった。  それ以来、機会あるごとにからかわれている。新入生であるサーラに対してアルドか優しいことが、ダビーたち年長の者には気に入らないらしい——自分たちも入門したての頃は優しくされたことを忘れて。  アルドはめったなことでは怒らない男だったが、後輩いじめに対してだけはきびしかった。訓練生同士の喧嘩《けんか》も禁止されている。だからサーラはダビーたちから暴力を加えられることはなかったものの、言葉によるからかいには常に耐えなくてはならなかった。  たとえばダビーは、サーラを「おい、そこのちっこいの!」と呼ぶ。「僕は『ちっこいの』じゃありません」と抗議しようものなら、すかさずこう返される。「おお、そうだった、そうだった。名前はサーラだったよな。な、サーラ[#「サーラ」に傍点]?」  そう言って彼は、いかにも親しそうにサーラの頭に手を置き、少女のようにさらさらした金髪をくしゃくしゃに撫《な》で回すのだ。  それが彼らのやりくちだった。「いやがらせ」ではあるが「いじめ」とは言えない。決して暴力をふるったりはしないし、露骨にののしるわけでもない。サーラは何度かアルドに訴えようと思ったが、そのたびに自制した。もし訴え出たら、みんなから軽蔑《けいべつ》の視線を向けられるのは自分の方だ。「ダビーが僕のことを『サーラ』と呼ぶんです」「僕の頭を撫でるんです」……だからサーラは耐えなくてはならなかった。  でも、そのダビーがなぜここに……? 「そんな顔すんなよ。たいした用事じゃねえ。手紙を持ってきただけだから」  そう言って笑いながら、ダビーは不安と猜疑心《さいぎしん》をこめた視線で自分を見上げているサーラに、ロウで封印《ふういん》された紙を手渡した。 「手紙?」 「アルドさんから預ってきたんだ。�狐狩り�の通知さ」 「尾行《びこう》の訓練!?」  盗賊が学ぶべき重要な技術のひとつが尾行である。姿を変え、身を隠しつつ、目指《めざ》す相手に悟《さと》られることなく接近し、行動を監視する——�情報�という形のない財産を盗《ぬす》み取るために、尾行は欠かせないものだった。  ギルドではそのための変装の技術や、上手《じょうず》な身の隠し方、足音を立てずに歩く方法などを教えてくれる。それは同時に、そうした監視をどのように見破り、尾行をかわすかの授業でもあった。「相手のやり方を知っていれば、それに対抗する方法もおのずと分かる」というのがアルドの口癖《くちぐせ》だった。  しかし、本当にその技術が身についたかどうかは、実際に試してみなくては評価できない。そこで訓練生たちは、しばしば休日に他の訓練生の行動を監視するよう、アルドから秘密の指示を受ける。誰が誰をいつ尾行するかは、情報が洩《も》れないよう、前日に突然知らされる。もちろん、尾行される側(�狐�と呼ばれる)は目標に選ばれたことを知らされない。つきまとう尾行者(�猟師《りょうし》�と呼ばれる)を見破れるかどうかも、評価の対象となるのだ。  これは訓練生同士が最もしのぎを削るイベントでもあった。尾行の結果は、翌日、みんなの前で報告しなくてはならないからだ。尾行を見破れなかった�狐�は、一日の行状を詳細に暴露《ばくろ》され、仲間の前で恥をかく。逆に尾行を見破った�狐�は、まぬけな追跡をどのようにまいたかをとうとうと説明し、�猟師�に肩身の狭い思いをさせるのだ。  盗賊ギルドに入門したばかりのサーラは、まだ�狐�になったことも�猟師�になったこともない。これが初めての体験である。 「相手は誰?」  ダビーは肩をすくめた。「俺が知るわけないだろ? 秘密なんだぜ。その手紙の中に書いてあるから、読めよ」 「でも……」 「確かに渡したぜ。じゃあな」  そう言ってダビーは、意地悪そうな笑みをちらっと見せて、急ぎの用事でもあるかのように、さっさと立ち去った。  サーラは手にした手紙を見下ろし、しばし茫然《ぼうぜん》としていた。明日は早起きしなくちゃならないと気づいたのだ。楽しみにしていた休みを奪われ、疲労がどっと押し寄せてくる気がした。これほどアルドが恨《うら》めしく思えたことはない。  ミスリルが肩越しに手紙を覗《のぞ》きこみ、「ふうん……」と感心した。「あのダビーって奴《やつ》、なかなかやるな」 「え?」 「その手紙さ。封を開いた跡がある」  サーラはびっくりして手紙に目を近づけた。しかし、何も異状は見当たらない。透けることのない厚目の紙を折り畳んで、端にロウを垂《た》らし、その上からアルドの印が捺《お》してある。ロウを剥がさずに開封はできないはずだ。 「その印は偽物《にせもの》だ。子供にしちゃあ上出来だがな。おおかた、今日の夕方、本物を真似《まね》て一所懸命に造ったんだろうよ。ロウをきれいに剥がして中を読んでから、偽の印を捺し直したんだな」 「どうしてそんなことを?」 「決まってるじゃないか。お前の�狐�が誰なのか知りたかったからさ。そいつに尾行のことを教えて、お前を罠にかけるつもりなんだろう——しかし、ご苦労なこった。きっと偽の印を造るのに何時間もかかったんだろうな。そうでなきゃ、通知を持ってくるのがこんなに遅くなるはずがない」  ダビーが自分へのいやがらせにそれほどまで熱意を傾けていると知って、サーラは暗澹《あんたん》たる気分になった。何て暇な奴なんだろう。そんな熱意があるなら、訓練に注げばいいのに……。 「中身は本物かな?」 「おそらくな。手紙の偽造までやったら、いたずらじゃ済まない。バレたらアルドにひどいお仕置きを食らうだろう。そこまでの度胸はあるまい」 「読んでみて、ミスリル」  手紙を差し出され、ミスリルは非難するような目でサーラをにらみつけた。 「お前、字を読む練習はしてるんだろ?」 「あ……えと……うん」  サーラは口ごもった。デインやミスリルは、いつも「読み書きの練習をしろ」とうるさく言う。もちろんサーラとしても読み書きの大切さは分かっている。数週間前、字が読めなかったばかりに、とんでもないトラブルに巻きこまれたばかりだ。  だから、暇を見つけて少しずつフェニックスたちから字を習っているのだが、なかなか覚えられず難渋している。盗賊ギルドでの修行に比べると、面白味に欠け、身が入らないのである。 「甘えるなよ。字の発音ぐらいは分かるだろう? どうせ中には�狐�の名前が書いてあるだけだ。読んでみろ」  しかたなくサーラは封を破り、手紙を広げた。ミスリルの言う通り、アルドの筆跡で、一人の人名がそっけなく書いてあるだけだ。 「ええっと、最初の字は大きいDだよね? その次は……」  サーラは眉《まゆ》を寄せ、たった数個の文字を相手に悪戦苦闘した。鍵を開けるのと同じぐらい難しい……。  唐突《とうとつ》に、その文字の列が誰を指《さ》しているのかに気づき、サーラは仰天《ぎょうてん》した。 「デル・シータ!」 [#改ページ]    3 デルの秘密  有益なアドバイスはないかとミスリルに相談を持ちかけたが、彼は頭をかいて「俺は変装だけは苦手《にがて》でな」と弁明した。手を貸したくなくてごまかしているわけではなく、本当に苦手なのだ。ミスリルの黒い肌は目立ちすぎる。故郷の村で初めて出会った時の、灰色のフードをすっぽりかぶって全身を隠した姿を思い出し、サーラは納得《なっとく》した。あんな格好《かっこう》で尾行したら、いっぺんで怪《あや》しまれてしまう。  考えあぐねた挙《あ》げ句、サーラは隣室のフェニックスたちに相談することにした。 「変装ねえ——私もあんまりやったことはないわね」  美しいハーフエルフの女|魔術師《まじゅつし》は、そう言って思案した。寝る前だったので、薄いローブに着替え、長い髪をほどいている。小首を傾《かし》げた拍子に、夕陽のように赤い髪がひとすじ、頬《ほお》にはらりとかかった。それが妙《みょう》になまめかしく、サーラをどきりとさせた。 「……でも女の人って、お化粧したり、着飾ったりするじゃない?」  フェニックスは吹き出した。「それは�変装�とは言わないわよ」 「そうかねえ?」ミスリルがにやにや笑う。「女ってのは化《ば》けるもんだって思うぜ。化粧でぜんぜん顔が変わっちまう。ちょっとした魔法だな——いや、詐欺《さぎ》と呼ぶべきか」 「あら、化粧しちゃいけないって言うの?」フェニックスは非難の視線を向けた。「美しくなるのはいいことだと思うけど?」 「まあな」ミスリルは肩をすくめた。「確かに自分をきれいに見せたいと思う気持ちは分かるさ。だが、大半の女は考え違いをしてる。装飾品をごてごてとくっつけて、きれいになったつもりでいるんだ。そのへんが男の見方と違うところだな」 「男の見方?」 「ああ。いくらきれいな服を着たって、金や宝石をくっつけたって、それで中身の女の価値が上がるわけじゃない。男は女の�殻�には見向きもしない。いくら殻に金をかけても、無駄《むだ》な努力ってもんだ」 「じゃあ、どうしろって言うの?」 「決まってるだろ? 男にとっちゃ、最高に美しい女ってのは、何も着てない女さ!」  そう言って笑うミスリルに、フェニックスは怒って枕をぶつけた。 「もう! あなたのは美的感覚と欲望をごっちゃにしてるだけじゃない!」  会話があさっての方向に流れて行きそうなので、サーラは慌《あわ》てて割って入った。「ねえねえ、レグはどう思う?」 「そんなこと訊《き》かれても困るねえ。あたしは化粧なんてものに興味ないし……」  女戦士レグディアナは、短く切ったシルバー・ブロンドの髪を面倒臭《めんどうくさ》そうにかきむしった。あられもない下着姿で、ベッドの上にだらしなく脚を広げている。曲がりなりにも男性が二人、同じ部屋にいるというのに、気にしている様子はない。  彼女はいつもこうだった。南の国ガルガライス生まれの人間は、他人に肌をさらすことを恥と思っていない。それどころか、健康な肉体を他人に見せびらかすことを、一種の誇りに思っているのだ。他の土地に行った時、裸《はだか》同然の格好で街中を歩き回り、ひんしゅくを買うことも多い——ガルガライス人にしてみれば、肉体を不必要に多くの布で隠すことの方が不自然なのだが。  静と動。可憐《かれん》な美と野性の美。太陽のような赤い長髪と、月のような銀の短髪——あらゆる点でフェニックスとレグは正反対だった。そんな二人が無二の親友であることが、サーラにはいつも不思議でしかたない。 「化粧のことじゃないよ。変装のことだよ」 「同じさ。姿を変えてこそこそ嗅《か》ぎ回るなんて、あたしの趣味じゃない。真正面から敵にぶつかって、殴《なぐ》りつけ、叩《たた》き潰《つぶ》す……!」 「まあ、そうだろうな」ミスリルはうなずいた。「鎧《よろい》を着てフレイルをぶん回している姿が、お前さんにはいちばん似合ってる」  レグはむっとして、彼をにらみつけた。「あんたねえ、女と喋《しゃべ》る時は、もうちょっと言葉に気をつけたらどう?」 「これが俺の性格なんだ。思ったことがそのまま口に出ちまう。相手が男だろうと女だろうと、違う喋り方なんてできないね」 「にしても、言葉からトゲを抜いたら、ちっとは女から好かれるようになるよ。デインを見習いな」 「あいつのは才能さ。普通の男は、あいつみたいにすらすらとお世辞は出ない」 「お世辞じゃない。女へのいたわりってやつさ」  ミスリルは笑った。「いたわりが必要な女なら、いたわってやるさ。だがレグ、お前にいたわりが必要かあ?」 「はん!」レグは完全にむくれてしまった。 「それで、どうやってデルを尾行するかってことなんだけど……」  サーラは泣きそうな心境で、懸命に話題を元に戻そうとした。大人同士の会話の中に子供がまぎれこむのは、背の立たない川で無理して泳いでいるような不安さがある。気を抜くとすぐに流されてしまうのだ。 「そうねえ……」  少年の全身を頭からつま先まで吟味《ぎんみ》しながら、フェニックスは思案した。 「やっぱり、この髪の毛が目立つわね。染めるか、かつらをかぶるか……それに服装も普段と変えないと」 「変えるって言っても……」サーラは当惑した。「どう変えるの?」 「どうかな? 楽器を持たせて、グラスランナーの吟遊詩人《ぎんゆうしじん》に見せかけたら……?」自分で言ってから、ミスリルはすぐに首を振った。「いや、だめだな。グラスランナーは珍しいから、かえって目立っちまう……」 「いっそ女の子に化《ば》けたら?」レグが提案した。「似合うと思うけどな」 「嫌《いや》だよ、そんなの!」  サーラは慌《あわ》てて拒否した。「女みたいだ」と言われるのが何よりも嫌いなのに、女の子の格好なんてできるわけがない。考えるだけで背筋に悪寒《おかん》が走る。 「そうねえ……確かにいい案かもね」 「フェニックスまで!」 「だって、考えてもみて。女の子を尾行するのよ? 男の子の格好じゃ近づきづらいところもたくさんあるわ」 「近づきづらいって?」 「たとえばドレスの生地を買うのに店を物色《ぶっしょく》したり、野原に花を摘《つ》みに出かけたり、女の子ばかり集まって賑《にぎ》やかに遊んだり……そういうところに男の子の格好で近づいたら、たちまち注目されちゃうわよ」  その理屈はサーラにも理解できた。故郷の村にフォージという少し内気な少年がいて、シャレンという少女が好きになってしまい、男の子の遊びの輪から抜け出して、よく女の子たちの遊びを覗《のぞ》きに行っていた。フォージは自分ではこっそり行動しているつもりだったらしいが、彼の行動はあまりにも目立ちすぎて、どちらの集団からもからかいの的になっていた……。 「だったら、たとえば彼女がお風呂に入ったりしたらどうするのさ?」 「もちろん、お前も入るんだ」ミスリルは平然と言った。「前を隠してな」 「そんな……冗談言わないでよ!」 「冗談じゃないぞ。それが尾行ってもんだ。�狐�にぴったりくっついて、絶対に目を離しちゃいけないんだ」 「嫌だよ、そんなの!」サーラはきっぱりと宣言した。「僕は女の子の格好なんか絶対にしないからね! そんな恥ずかしい変装するぐらいなら、このままでやるよ!」 「すぐにバレるぞ」 「そんなの、やってみないと分かんないよ。だいたい、あの変わり者のデルが、普通の女の子みたいにドレスを縫ったり、野原で花を摘んだりするわけないじゃない!」  ミスリルは口ごもった。「まあ、それはそうだが……」 「確かに、彼女が他の子供と遊んでるところなんて、見たことないよねえ」レグは考えこんだ。「と言うより、外で壁登りの練習してるとこ以外、めったに見かけないよ……ミスリル、あんたどう?」  ミスリルは肩をすくめた。「同じだな——あの子の日常はよく知らん。盗賊ギルドでたまに顔を合わすだけだ。他の子とは遊ばないみたいだな」 「じゃあ、ギルドの訓練が休みの日は、ずっと家に閉じこもってるわけ?」 「そんなことはないだろう。外には出てるはずだ。そうでなきゃ、アルドが�狐�に選んだりするはずがない……なるほど、そうか!」ミスリルは指を鳴らした。「アルドの親父《おやじ》め、公私混同してやがるな!」 「どういうこと?」 「アルドも娘のことが気になってるのさ。休日に娘がどこで何をやってるか、知りたいに違いない。でも、自分で尾行するのは、さすがに気がとがめる……それで�狐狩り�にかこつけて、訓練生に調べさせようとしてるんだぜ。たとえ尾行がバレても、『これは訓練なんだから、お前だけ�狐�に選ばないわけにはいかん』と言い逃《のが》れられるからな。いやはや、親|馬鹿《ばか》もいいとこだ!」 「でも、どうしてその役目をサーラに? 他にも訓練生は大勢いるのに……」 「うむ……たぶん、サーラがいちばん信頼できるからじゃないか?」 「信頼?」サーラは目を丸くした。 「ああ。もし万一、娘の秘密が何か恥ずかしいものだったら、�猟師《りょうし》�に発表させずに口止めしたいと思うのが人情じゃないか? あのダビーや、その仲間たちじゃ、口止めなんてできやしない。たちまち噂《うわさ》が広まっちまう……」  サーラも同感だった。ダビーたちはサーラと同様、デルもうとんじているが、さすがに教官の娘をからかう度胸《どきょう》はない。しかし、もし何かデルの弱味を発見したら、それを仲間内に言いふらすのは目に見えている。 「その点、お前ならグループの中で孤立してるし、口も固そうだ。いざとなったら秘密を守ってくれると思ったんだろうよ」 「そんな! ひどいよ! 僕にそんな役目を押しつけるなんて……それに�狐�に選ばれた他の子供は、容赦《ようしゃ》なくみんなの前で秘密をあばかれてるんだよ? 自分の娘の秘密だけ守ろうなんて、不公平じゃない!」 「まあ、確かにそうだがな……」 「そうだよ! えこひいきだよ! アルドさんがそんなことをする人だなんて信じられない! もしそうだとしたら、もうあの人を尊敬なんかしないよ!」 「そんなこと言うもんじゃないわ」フェニックスがたしなめた。「親の愛情はそれだけ強いってことなのよ。時には子供への想いが深すぎて、他に何も見えなくなってしまうこともあるわ……アルドさんが彼女をある程度えこひいきするのは、親として当然よ」  サーラは簡単には割り切れなかった。「でも……やっぱり公平じゃないよ」 「まあ、あなたの気持ちも分かるけど……」 「だいたい、デルってどういう子なの?」サーラはついに、かねてからくすぶっていた疑問を爆発させた。「無口だし、他の子と遊ばないし、笑わないし、何考えてるか分からないし……あんな女の子、絶対変だよ! どうすればあんな子に育つの? アルドさんはいったいどういう育て方したの!?」  興奮していたサーラにも、一瞬、気まずい雰囲気が流れるのが分かった。フェニックスとミスリルは、横目で互いの暗い表情を探《さぐ》り合っているし、レグは無関係のようにそっぽを向いて、壁を見つめている。 「何? どうかしたの?」 「そうか……」ミスリルは重々しく口を開いた。「……お前、まだ知らなかったんだな」 「何を?」 「てっきりもう、誰かから聞いてるんだと思ってた……」 「だから何をさ!?」サーラは苛立《いらだ》って、声を荒くした。 「つまりだな……」  ミスリルが何か言いかけた時、フェニックスが彼の腕に手を置き、不安そうな表情で制しようとした。だが、彼はその手を優しくふりほどいた。 「いや、教えでおいた方がいい。デルのことをよく知るためにもな」  ミスリルはサーラに向き直ると、ひと呼吸して、重大な事実を吐き出した。 「……デルはアルドの本当の娘じゃない」 「え?」 「今の奥さんの連れ子なんだ……本当の父親はバルティスという男だ」  初めて聞く名前だった。「誰なの?」 「すごい男さ……」ミスリルはまぶしい記憶に目を細めた。「このザーンで——いや、たぶん西部諸国で最高の盗賊だった。とにかく強かった。勇気もあった。あの人とまともに張り合える奴《やつ》は、�闇《やみ》の王子�だけだと噂《うわさ》されていた……」 「実物に会ったことはないけど、噂はいろいろ聞いてるよ」とレグ。「たった一人でミノタウロスを倒したって、本当かい?」 「ああ、本当さ。バルティスの武勇伝には、誇張は何ひとつもない。少人数で海賊《かいぞく》のねじろに乗りこんで、十何人の敵をあっさり蹴散《けち》らし、自分はかすり傷ひとつ負わなかった。ドレックノールの盗賊ギルドの陰謀《いんぼう》をあばいて、粉砕《ふんさい》したのも彼だ。若い頃には冒険者《ぼうけんしゃ》をやっていて、あちこちの迷宮《めいきゅう》を荒し回ったそうだ。手先も器用で、彼に破れない錠前はひとつもないと言われた……」 「私はずっと前に一度しか会ってないけど、印象は強烈だったわ」とフェニックス。「そこに立っているだけで、全身から強さと優しさを発散してた……英雄って、まさにああいう人を言うのね。あんな人が吟遊詩人の歌の中じゃなく、この世に本当にいるなんて、とても信じられなかった」 「あの人はまさしくザーンの英雄だった……」そう言ってミスリルは、暗い表情でため息を吐《つ》いた。「ギルドマスターの信頼も厚かった。生きていたら、今ごろは間違《まちが》いなく、新しいギルドマスターに納まってただろうになあ……」 「その人がデルのお父さん?」とサーラ。「死んじゃったの?」 「そう、四年前にな——彼女が喋らなくなったのは、その日からだ」  ミスリルの話を要約すると、バルティスの死のいきさつは次のようになる。  ザーンの市民には絶大な人気があったバルティスだが、その有能さゆえに敵も多かった。たとえばザーンと反目している隣国ドレックノールの盗賊ギルドだ。彼らはザーン内部に何人もスパイを潜入《せんにゅう》させ、裏からこの街を支配しようと企《たくら》んでいた。その陰謀を嗅《わ》ぎつけ、阻止《そし》したのがバルティスだった。  何年もかけてザーン内部に作り上げた情報網をあっさり破壊され、スパイたちは二進《にっち》も三進《さっち》も行かなくなった。作戦がぶざまな失敗に終わった以上、母国に帰っても厳しい処罰が待っているのは明白だった。彼らの上司で、ギルド幹部六人の一人、国外での情報収集と謀略《ぼうりゃく》を担当する�闇の王子�ジェノアは、このうえなく計算高く無慈悲な男として有名だった。  自暴自棄になった彼らは、すみやかに撤収《てっしゅう》せよというジェノアからの指示を無視し、独断でバルティス抹殺《まっさつ》を計画した。ジェノアの目の上のコブであるバルティスの首を持ち帰れば、失敗の償《つぐな》いになるだろうと、浅はかな考えを抱《いだ》いたのだ。  これはドレックノール=ザーンの盗賊ギルド間の秘密協定——相手の領土内での暗殺行為の禁止——に反する行為である。この協定を破ったら、多額の賠償金《ばいしょうきん》を支払わねばならない。この暴走をジェノアが快く思わないことに、彼らは愚《おろ》かにも気がつかなかった。  スパイたちはバルティスを誘い出すため、卑劣《ひれつ》にも彼の一人娘デルを誘拐《ゆうかい》した。当時、彼女は八歳だった。バルティスは娘を取り戻すため単身、彼らの隠れ家《が》に乗りこんで行った。罠《わな》であることを知りながら……。  翌日、デルだけがふらりと戻ってきた。いくつかのかすり傷の他には大きな外傷はなかったが、ひどいショックを受けたらしく、表情は彫像のように凍りつき、小さな唇《くちびる》は固く閉ざされていた。小さな手には父親の愛用のダガーが握られていた。  母親のエレナや周囲の者たちが、事情を訊《き》き出そうと懸命になだめすかしたところ、ようやく少女は口を開き、ぽつり喋《しゃべ》った——「お父さんが死んだ」と。  ただちに盗賊ギルドのメンバーが総動員され、ザーン周辺の捜索《そうさく》が行なわれた。その結果、街はずれにある廃屋《はいおく》で、無残な拷問《ごうもん》を受けたうえに首を切り落とされた死体が発見された。服装からバルティスであると判断された。  一方、ドレックノールに通じる街道沿いで、四つの死体が発見された。例の卑劣《ひれつ》なスパイどもだ。胸には二重の×印が刻まれていた——裏切者の処刑を示す、ドレックノールの盗賊ギルド特有のサインだった。  時を同じくして、ドレックノールのジェノアからザーンの盗賊ギルドに、空々《そらぞら》しい内容の書面が届けられた——「四名の裏切者は三日前に当ギルドから除名している。バルティス氏に対して暗殺指令を出したことはなく、彼らの行動は当ギルドの総意に反するものである。よってバルティス氏の死は協定違反にはならないことを了解されたい。彼らは我々《われわれ》の責任において処置したが、今回の暴挙《ぼうきょ》を未然に阻止《そし》できなかったことは我々の力不足であり、きわめて遺憾《いかん》である……」  悪辣《あくらつ》なやり口だ、とザーンの盗賊たちは歯ぎしりした。結果に関係なく、ジェノアは最初から四人のスパイを処刑するつもりだったに違いない。部下が自分の命令を無視して動くことを、彼は決して許さないからだ。ただ、彼らが本当にバルティスを殺せるか見極めるため、処刑を遅らせたのだろう。ジェノアにしてみれば、失敗してもともと、運良く成功すれば儲《もう》けもの、という程度の気軽な賭《か》けだったのだろう。  この事件のせいで、ドレックノールとザーンの盗賊ギルド間の反目は、前以上に悪化してしまった。その状態は四年後の現在も続いている。  冷たい対立が熱い戦争に発展しなかったのは、ドレックノールの盗賊ギルドの勢力がザーンのそれの何倍も大きく、ザーンの側から報復攻撃を仕掛けるのが無謀《むぼう》であることが明白だったからだ。一方ジェノアも、まるで急にザーンに興味をなくしたかのように、あれ以来、何の謀略《ぼうりゃく》も仕掛けてこない。  しかし、ザーンの盗賊たちは警戒を解いていない。ジェノアが今も虎視眈眈《こしたんたん》とザーンを狙《ねら》い、何かの陰謀をめぐらせているのは、疑いのないことだった……。 「……それで、結局、デルには何があったの?」  サーラの質問に、ミスリルは肩をすくめた。 「よくは分からん。彼女自身が何も話さないんでな——だが、だいたいの想像はつく。父親が連中になぶり殺しにされる、その一部始終《いちぶしじゅう》を見せられたんだろうよ。ショックで心を閉ざしちまったのも無理はない」 「かわいそうに……」フェニックスは目を伏せてつぶやいた。「たった八歳なのに……つらかったでしょうね」 「それで、残されたバルティスの奥さんは、アルドさんと再婚したんだね?」 「ああ、事件から一年後にな。もともとアルドはバルティスの無二《むに》の親友だった。エレナさんも夫の死にひどいショックを受けてた。傍《そば》にいて彼女の支えになる者が必要だった。それがアルドだったわけさ。  もちろん、義務感で結婚したわけじゃない。アルドが奥さんを心から愛しているのは見れば分かる——もちろんデルもだ。本当の娘同様に……いや、それ以上にかわいがり、愛情を注いでるんだ——彼のデルへの接し方を見たろう?」 「うん……」 「俺はいつも感心するんだ。彼が娘を育てるやり方は、不器用だが、思いやりがこもってる。娘の心の傷を刺激しないよう、いつも注意してるんだ。無理に心を開かせようとすれば、かえって傷口を広げてしまうからな。それでいて、必要以上に甘やかすこともしない。下手《へた》に優しくしすぎると、いっそう自分の殻に閉じこもっちまう……近づきすぎもせず、遠ざかりもせず、いつも一定の距離で見守りながら、彼女の心の傷が自然に癒《い》えるのを、辛抱《しんぼう》強く待ってるんだ。  だからサーラ、彼を悪く言うのは間違《まちが》ってるぞ。彼は最高の父親だ。俺は子育てのことはよく分からんが、他の誰にもあんな愛情のこもった育て方はできまい。デルの心を開くことができるのは彼だけだと、俺は思うね」 「……決めたよ」  たっぷり三分も考えてから、サーラは決心した。 「明日は女の子の格好で尾行する」 「おやまあ」レグが感心する。「どうした変化だか? さっきまであんなに嫌《いや》がってたのに?」 「今でも嫌だよ。女の子の格好なんて!」サーラは口をとんがらせた。「……でも、アルドさんがデルをそんなに大切にしてて、彼女のことが心配で心配で、それで僕を信頼して尾行を頼んだんなら、失敗するわけにいかないじゃない? 尾行を成功させるためには何でもやるよ」 「よく言った! 偉い!」ミスリルは少年の髪の毛を撫《な》でた。「俺はお前のそういうとこが好きなんだ!」 「そうと決まれば、明日の朝早くに、かつらと女の子用の服を調達しなくちゃいけないわねえ」フェニックスは一転して明るい表情で、うきうきと計画を練りはじめた。「確かアニータが、子供が大きくなったから、古くなった子供服を処分したいって言ってたわ。あれを借りられないかしら?」 「服はいいとして、かつらは?」とレグ。 「まかしとけ。心当たりがある」ミスリルが胸を張った。「市場に小さな旅芸人の一座が来てるだろ? 連中とちょっと知り合いになったんだ。かつらのひとつぐらい、頼めば貸してくれるはずだ」  陽気な調子で明日の計画を話し合う三人の中心で、サーラは気が重かった。  少女の心の秘密に踏みこむという任務の重さも、それを信頼されて任《まか》されたのが名誉であることも、充分に理解しているつもりだ。それだけに、アルドが恨《うら》めしく思えてくる。いくら娘のことを気にかけてるからって、こんな大事な役目を僕に押しつけるなんてひどすぎる。断わるにも断われないじゃないか……。  明日のことを考えると、暗澹《あんたん》たる気分になってくる。楽しみにしていた休日を潰《つぶ》され、失敗できない大任を背負わされたばかりか、死ぬほど恥ずかしい格好をしなくてはならないのだ。大嫌いな方法をあえて自分で選んだのは、どうせならとことんひどい目に遭《あ》ってやるという、なかばやけっぱちの心理だった。  明日の�狐狩り�が終わったら、アルドさんに思いきり愚痴《ぐち》を言ってやるぞ、とサーラは固く心に誓《ちか》った。 [#改ページ]    4 秘密の扉《とびら》の奥に  そして翌朝—— 「素敵《すてき》よ、サーラ! すごく似合ってるわ」  変装の最後の仕上げに、黒い長髪を櫛《くし》で撫《な》でつけながら、フェニックスは出来栄《できば》えに満足そうだった。それを見守っているミスリルとレグも、ついに洩《も》れてくる笑みを隠せない様子だ。  反対にサーラはひどく不機嫌だった。変装が似合っていないからではない——似合いすぎているのが不満なのだ。  もともと女の子のような愛らしい顔立ちで、故郷でもいじめっ子たちによく馬鹿《ばか》にされていた。こんな顔に生んだことで母親を恨《うら》み、こんな名前をつけたことで父親を恨んだ。  だからこそ、自分が女みたいじゃないことを証明するために、冒険者《ぼうけんしゃ》というこの世で最も危険な職業にあこがれたのだ。それなのに……。 「どう? ほら?」  フェニックスは嫌《いや》がるサーラの前に手鏡を差し出した。予想はしていたものの、黒い長髪のかつらをつけ、スカートをはき、エプロンをつけた自分の姿は、どこから見ても完璧《かんぺき》に女の子だった。分からない程度に薄く化粧もしているので、顔の印象も少し変わっていた。もうちょっとどこかに不自然さがあればいいのに、と悔《くや》しくなる。 「うん、これならまず見破られる心配はないな」ミスリルが太鼓判《たいこばん》を押した。「俺だって、知らずにすれ違ったら気がつかないぜ」 「でも、ダビーたちがデルに�狐狩り�のこと、こっそり教えてないかな?」 「それはないだろう。そんなことをしたら、デルの口からアルドに洩れて、後で大目玉を食らう。�狐�には絶対秘密なのが原則だからな」 「歩き方に気をつけてね」フェニックスが助言する。「急いでいても、絶対に大股《おおまた》で歩いちゃだめよ。なるべく歩幅を小さく、脚の内側をすり合わすように歩けば、女の子らしく見えるわ」 「さあ、サーラ、これを持て」  ミスリルが差し出した大きな肩掛け袋には、どこから調達してきたのか、火打ち石、火口《ほくち》箱、ランプの灯芯《とうしん》、補給用の小さな鋼の油壷《あぶらつぼ》、手の平に載る陶器製のランプなどが、整然と詰まっていた。  洞窟の街ザーンでは、照明器具は市民の外出の必需品であり、「火売り」はそれほど珍しくない職業である。通路の角に立ち、ランタンの火が消えてしまって困っている人に、火を貸してやったり、油や替芯《かえしん》を売ったりする商売だ。もちろん、あまり儲《もう》かる仕事ではないが、体力も技術も必要ないので、子供が小遣《こづか》い銭稼ぎにやることが多い。  袋を肩から提《さ》げたサーラは、どこにでもいる火売りの少女だった。確かにこれなら、街角に立っていても怪《あや》しまれない。 「ようし、完璧だな。行ってこい!」  ミスリルが背中を押した。しかし、サーラはまだ躊躇《ちゅうちょ》している。 「どうしたんだ? 早くしないと、デルが家を出ちまうぞ」 「だって……自信ないよ」サーラはうつむいた。「もしダビーたちにこの格好を見られたら、どんなこと言われるか……」 「何だ、そんなこと心配してるのか?」レグが陽気に笑った。「気にするな。その時は開き直ってやんなよ。『お前たちにこんな見事な変装ができるか』ってな」 「でも……」  自分の外見というものにまったく無頓着《むとんちゃく》なレグだからこそ言える台詞《せりふ》ではないかと、サーラは思った。 「そう、笑いたい奴《やつ》らにゃ笑わせときゃいい」ミスリルが同意した。「他人の外見を笑いものにして、ひとときの優越感にひたってるようなけちな連中は、しょせん大物にゃなれないさ。とびきりの大物になって、連中を見返してやれ! 最後に笑うのは自分だと信じるんだ」  肌の色というハンディを克服《こくふく》して生きてきたミスリルの言葉には、説得力があった。サーラはようやく外に出る勇気が湧いてきた。 「うん……分かった。やってみる」 「じゃあ、行ってこい!」  ミスリルはサーラの背中を叩《たた》き、戸口の方に押し出した。 「成功を祈ってるわよ!」 「首尾《しゅび》を聞かせろよ!」  フェニックスとレグのはげましの声を背中に受け、サーラはちっぽけな勇気と大きな不安を胸に、「月の坂道」を後にした。  店を出て一分もしないうちに、最初の試練が降りかかってきた。  岩山をくり抜いて造られたザーンの街は、いくつもの階層で構成されている。アルドの家は「月の坂道」より二階層上にあり、長いゆるやかな坂道を登ってゆかなければならない。その途中、前方から坂道を下ってくる少年たちの集団に出くわしたのだ。 「……でもさあ、サーラとデルってのは、いい組み合わせだよな」 「ああ、女みたいな男と、男みたいな女だもんな!」  はじけるような笑い声が通路に反響する。サーラは愕然《がくぜん》となった。  ダビーたちだ!  パニックに陥《おちい》りそうな心をどうにか抑《おさ》え、素早《すばや》く周囲の状況《じょうきょう》を判断する。壁に沿って店が何軒かあるが、朝早い時間帯なので、扉《とびら》はみんな閉まっている。一本道で身を隠す場所がない。すでに相手の視界に入っているので、急に後戻りするのも不自然だ……。  サーラは覚悟を決めた。変装が見破られないことに賭《か》けて、このまままっすぐ行くしかない。昇り坂なので、ちょっとうつむき加減で歩けば、顔は見えにくくなるはずだ。  歩調をゆるめずに歩き続ける。歩き方が緊張のあまりぎこちなくなるのが分かった。頭の中に今聞いたばかりのフェニックスの助言が響く。歩幅をなるべく小さく、脚の内側をすり合わすように……。  五人の年長の少年は、まったくサーラに気づかない。ぐんぐん距離が詰まって、会話もはっきりと聞こえる。 「でも、こんなことして、アルドさんに怒られないか?」 「別に�狐狩り�を妨害するわけじゃないさ。サーラが尾行するその後を、俺たちが尾行して、奴がぶざまな失敗をするところを、とっくり眺《なが》めてやるだけさ」 「�猟師�を�狐�にするわけだな?」 「そうそう。もし奴がアルドさんに嘘《うそ》の報告をしたら、俺たちがご注進して、真相をバラしてやるのさ」  僕がそんな卑怯《ひきょう》なまねするわけないじゃないか! お前たちといっしょにするな! サーラは怒りを抑えながら、彼らとすれ違った。  あっけなかった。袖《そで》が触れ合うほどの距離ですれ違ったのに、五人は話に夢中で、まったく気づかなかったのだ。少し行ってから振り返ると、彼らはまだ悪だくみを話し続けながら、「月の坂道」に向かってまっすぐ歩いてゆくところだった。  張り詰めた緊張が解けると同時に、圧倒的な勝利感が湧き上がってきた。ダビーたちをだし抜いてやった! 体の底から笑いがこみあげてくる。「開き直ってやれ」というレグの言葉が思い出された。この勝利を宣言せずにはいられなかった。  こらえきれず、大声で笑い出してしまった。五人はびっくりして振り返り、ようやく少女の正体に気づいて、目を丸くした。 「サーラ……?」 「お前、何て格好……」 「黙れ!」サーラは坂の上に仁王立ちになり、彼らにぴしりと指を突きつけた。「ダビー、ファイベル、ジョク、リース、ダージ! 誰も僕に気がつかなかったな!」  五人は一様に絶句した。サーラはいい気分で彼らの困惑《こんわく》ぶりを見下ろしていた。 「盗賊には注意力も必要だって習ったじゃないか! みんな何年も盗賊ギルドにいて、何を修行《しゅぎょう》してたんだよ? 僕はたった一か月だぞ! それなのに、目の前を通り。過ぎた僕に誰も気がつかないなんて、いったいどこに目をつけてるのさ?」 「てめえ……」  ダビーが怒りの拳《こぶし》を握り締め、一歩進み出る。しかし、サーラはたじろがない。 「変装のうまさで僕に負けたのが、そんなに悔《くや》しい?」 「う……」 「言っとくけど、僕の�狐狩り�を邪魔《じゃま》しようなんて思わない方がいいよ」サーラは得意満面で追い打ちをかけた。「もしそんなととしたら、開けちゃいけない手紙を覗《のぞ》き見したこと、アルドさんに言うからね。アルドさんの印を偽造《ぎぞう》したことがバレたら、何て言われるかな?」 「く……」 「じゃあね!」  言いたいことを言ってすっきりしたサーラは、悔しそうに立ちすくむ五人に背を向け、さっさとその場を歩み去った。  アルドの家はザーンの地上第六階層、中流階級の住宅街のはずれにある。何本ものトンネルが複雑に交差している場所だが、幸い、アルドの家の前では通路はほぼ直線なので、かなり離れたところから戸口を見張ることができた。火売りが街角に立つ時刻にはまだ早いので、ゴミ箱の蔭《かげ》にうずくまり、待つことにする。  退屈《たいくつ》な監視を続けるうち、さきほどの高揚感がしだいに薄れ、後悔《こうかい》が頭をもたげてきた。ダビーたちにあんなことを言うんじゃなかった。あのまま正体を明かさずに立ち去っても良かったはずなのに、その場の衝動《しょうどう》にかられ、彼らをコケにしてしまった。あんなことをしても、自分にとって何の利益もない。それどころか、いっそう恨《うら》みを買ってしまったのは明らかだ。明日からまた、陰湿ないやがらせがあるに違いない。  これからは注意しよう、とサーラは自分に言い聞かせた。行動のひとつひとつがずっと先まで影響を与えることを、忘れてはいけない。一時的な娯楽のためだけに、他人を馬鹿《ばか》にして喜んでいるようじゃ、ダビーたちと同じじゃないか。  そうとも、あんな連中に勝ったって何の自慢にもならない。あんなちっぽけな勝利で満足してるようじゃだめだ。僕の目標はずっと大きいんだから……。  待つこと二時間以上。もうとっくにデルは家を出たのではないか、あるいは考えごとをしていて家から出るところを見過ごしたのではないかと心配になりはじめた頃、ようやくデルが姿を現わした。いつものように、体に合った黒い服を着て、小型のランタンを持っている。  戸口の前に立って、臆病《おくびょう》そうにあたりに視線を走らせるが、ゴミ箱の蔭のサーラに気づいた様子はない。下の階に通じる階段に向かって、すたすたと歩きはじめた。サーラは隠れ場所から出て後を追った。  追跡そのものは、ギルドで教えられたセオリー通りだった。人の少ない場所では可能なかぎり距離を広く取り、人が多くなったら間隔を詰める。注意を惹《ひ》かないよう、ごく自然な歩調で歩き、相手が急に立ち止まったり、振り返ったりしても、歩調を変えない。曲がり角や柱などを有効に利用する……。  デルは着実に下へ下へと向かっている。尾行を続けながら、サーラは彼女の行き先を推理した。おおかた、盗賊ギルドの訓練場だろう。まさか朝から公衆浴場なんかには行かないはずだ——それでは、ちょっと面倒《めんどう》なことになる。  だが予想ははずれ、彼女はサーラの知らない地区へどんどん入りこんでゆく。酒場や賭博場《とばくじょう》、あるいはもっといかがわしい店の並んでいるところだ。朝なので扉はみんな閉まっており、人通りは少ない。壁面には等間隔で明かり採《と》りの穴があるものの、どうにも薄暗くて陰気だ。  この街に来て日の浅いサーラは、たちまち現在の位置が把握《はあく》できなくなった。初めての日に迷子《まいご》になって、誘拐《ゆうかい》されそうになったことを思い出す。不安を押し殺しながら、サーラは暗い通路を歩き続けた。帰りのことを心配してもしかたない。デルを見失わないように追いかけるだけでせいいっぱいだ。  一度だけ、不意に立ち止まって振り返ったデルが、後ろからずっとついてくる火売りの少女に、不審の目を向けたことがあった。サーラは何食わぬ顔で歩き続け、デルのすぐ手前、一件の酒場の前で立ち止まって、薄汚れた扉をノックした。照明が暗いから見破られることはないと自分に言い聞かせ、胸の動悸《どうき》を懸命に抑えながら、彼女の視線を無視するように心掛ける。  やがてデルは安心したのか、再び歩き出した。また振り向かれるとまずいので、しばらくノックを続ける。視野の隅で、黒ずくめの少女が角の向こうに姿を消すのが、ちらっと見えた。  扉が開き、髭面《ひげづら》のむさ苦しい男が、目をこすりながら顔を出した。このあたりの住民は昼夜が逆転した生活をしており、昼過ぎまで寝ているのだ。 「何だ?」  サーラはとっさに裏声を出した。「あの……ごめんなさい。間違《まちが》えました」 「おい、よしてくれよ。こんな朝っぱらから……」  男のぼやく声を尻目《しりめ》に、サーラはその場を離れ、デルの後を追った。  この変装は正解だった、とあらためて思う。少年の姿のままでは、今ので間違いなく発見されていたはずだ。冷や汗の出る思いだ。  曲がり角の向こうでオレンジ色の明かりが踊っていた。手前で立ち止まり、角から顔を半分だけ出して、様子をうかがう。少女は通路の真ん中にしゃがみこみ、火口箱からランタンに火を移していた。ここから先は通路に明かり採りの窓がなくなり、真っ暗になるからだ。  デルはランタンを掲げ、また歩きはじめた。サーラは自分のランタンは使わず、その光を目標にして尾行することに決めた。闇《やみ》が姿を隠してくれるはずだ。  このあたりの通路は掃《は》き清める人がいないせいか、砂埃《すなぼこり》でざらついている。サーラは盗賊ギルドで習った歩き方を思い出し、足音を立てないように注意した。足を床《ゆか》にまっすぐに下ろし、滑《すべ》らさないようにするのだ。  通路の突き当たりには鉄格子《てつごうし》があった。何かの札が鎖で吊《つ》るされている。デルはその前で立ち止まった。サーラも壁面に影のように張りついて、様子を見る。かちゃかちゃという鍵穴《かぎあな》を探《さぐ》る音がしばらくしたかと思うと、鉄格子が開いた。デルは中に滑りこむと、元通りに扉を閉めた。  ランタンの明かりが階段を降りてゆく。サーラは忍び足で近寄り、鉄格子越しに下を覗《のぞ》きこんだ。かなり長くてまっすぐな階段だった。耳をすますと、デルの足音に混じって、かすかに水の流れる音がする。すでにランタンの灯《ひ》はかなり下まで降りていた。幸い、彼女は鉄格子に鍵をかけていかなかった。サーラは音を立てないように扉を開け、階段を降りはじめた。  ランタンの光は遠くおぼろげで、少年の足許《あしもと》を照らしてはくれない。まったくの暗闇の中、いつ果てるともない階段を手探りで降りるのは、不安で危険を伴う試練だった。地下からの水音が大きくなってくるにつれて、サーラの心の中の懸念《けねん》も、しだいにふくれあがってきた。いったいどこまで降りるのだろう? もうとっくに地上の階層を通り抜け、地面の下に入っているはずだが……。  急にランタンの灯が見えなくなった。角を曲がったのだろう。ゆっくり降りていたので、かなり引き離されたようだ。すでに水音はかなり大きくなっており、足音を聞きつけられる心配はなさそうだ。サーラは忍び足をやめ、降りるペースを早めた。  いきなり階段が終わったので、つまずきそうになった。何も見えなかったが、音と涼しさで、目の前に川が流れているのが分かった。大きなトンネルに出たらしい。水の音が壁面に大きく反響し、まるで巨大な管楽器の中にいるようだった。  トンネルの中には異臭が漂っていた。サーラは知らなかったが、そこはザーンの地下を流れる下水の川だった。隣接した山系から流れてくる大量の地下水、ゴミ捨て穴から投棄《とうき》されたゴミ、公衆便所から落ちてきた汚物《おぶつ》、たくさんの工房から流れ出した廃水……それらがすべてここに集まり、地底の天然の水路を通って、遠い海に運ばれるのだ。  ランタンの灯を見失ったかと思い、慌《あわ》てて左右を見回す——いた! 水路のずっと下流の方で、灯がちらちら動いている。丸みを帯びた天井《てんじょう》に弓形の光が投影され、時おり水面が灯を反射して、きらりと光った。  足で探ると、水路の横には細い通路がくり抜かれているのが分かった。サーラはごつごつした壁面に手を当てながら、ランタンの灯を追った。  通路には凹凸《おうとつ》が多く、暗いので何度もつまずいた。一度などば、壁面から岩が大きく張り出していたので、頭をひどくぶつけてしまった。あまりの痛さに泣きたくなる。それでも急いで歩いたので、かなり距離を縮めることができた。ランタンの生み出す光の輪の中に、デルの小さな姿が見分けられる。  川の途中に、板を組み合わせて造られた粗雑《そざつ》な橋が渡されていた。デルはよろめきながらそれを渡り、向こう岸の壁面にある小さな横穴に姿を消した。  さあ、困ったぞ——サーラは橋の前で立ちつくした。橋には手すりも何もなく、幅も狭い。ランタンの灯の助けなしでは、足を滑らせる危険が大きかった。水の音からして、流れはそんなに急ではないはずだが、深さも分からないし、落ちたらどこまで流されるか見当がつかない。かと言って、ランタンに火をつければ、デルに見つかってしまう……。  だが、躊躇《ちゅうちょ》していた時間は短かった。せっかく苦労してここまで来れたのだから、デルがどこまで行くのか見極《みきわ》めたい、という想いの方が強かった。これまで何度か死線をくぐり抜けた経験に比べれば、この程度の危険は、危険のうちに入らない。むしろ追跡に危険な要素が生まれたことで、不敵なチャレンジ精神が刺激された。  サーラはスカートの端をつまみあげ、暗闇《くらやみ》の中で橋を渡りはじめた——足の感触だけを頼りに、ゆっくり、一歩ずつ、着実に……板は古くなっているらしく、少年のわずかな体重でもぎしぎしとたわんだ。揺らさないように注意しなくてはならない……。  向こう岸に足が届いた時は、思わず安堵《あんど》のため息が洩《も》れた。だが、のんびりしてはいられない。すぐにデルの入った横穴を探し当て、中に入った。  曲がりくねった横穴をしばらく歩くと、再びランタンの灯が目に入った。広いトンネルに出たようだ。採掘作業の途中で放り出された場所らしく、大小何百という岩が床《ゆか》に転がり、作業に使われたらしい木材が無雑作《むぞうさ》に壁に立てかけられていた。川の流れる音が遠ざかったので、また足音を忍ばせなくてはならない。石を蹴飛《けと》ばして音を立てたりしたら大変だ。  デルはトンネルの途中で立ち止まり、ランタンを高く掲げて、壁にある何かを調べているようだった。サーラはゆっくりと近づき、大きな岩の蔭《かげ》に身をひそめて、彼女が何をしているのか見ようとした。  突然、少女は口を開いた。 「とこしえの闇よ、我に道を示せ」  サーラは仰天《ぎょうてん》した。その声の反響がまだ消えないうちに、少女の前の壁がずるずると動きはじめたのだ! 岩の一部が後退し、何もなかったはずの場所にぽっかりと黒い入口ができる。デルは迷うことなくその中に足を踏み入れた。  サーラが驚きあきれて見ているうちに、岩は元通りに閉じた。ランタンの光が見えなくなり、少年は真の闇の中に取り残されてしまった。 [#改ページ]    5 闇《やみ》の子供たち 「くそっ!」  サーラは小声で悪態《あくたい》をついた。まったくの闇の中では身動きならない。しかたなく肩に提《さ》げた袋の中から、火口《ほくち》箱とランタンを手探《てさぐ》りで取り出した。鋳物《いもの》の箱の中でくすぶっている小さな火縄を、ランタンに近づけ、灯《ひ》をともす。  闇に慣れた目には、ランタンの淡い光さえも心強かった。それを高く掲げ、隠れ場所から出て、少女の消えたあたりにそろそろと歩み寄った。  壁には何の異状もなかった。入口があったなどとは信じられない。よく見れば、岩の割れ目に見せかけて、継ぎ目らしいものがあるのだが、あの光景を見なければ気がつきもしなかっただろう。芸術的と言えるほど見事な隠し扉《とびら》だった。  しかし、どうやってデルは扉を開けたのだろう……? 「……そうか、合言葉だな!」  サーラはささやいた。おとぎ話に出てくる魔法《まほう》の扉を思い出したのだ。正しい合言葉を言えば開くが、それ以外の方法では決して開けることができない。魔法の扉に守られた財宝の洞窟《どうくつ》に入りこんだ盗賊《とうぞく》が、帰る時に愚《おろ》かにも合言葉を忘れてしまい、出るに出られず、莫大《ばくだい》な金銀宝石の山の中で餓死《がし》してしまうのだ……。 「彼女は何て言ったっけ?」サーラは口に出して考えた。「『とこしえの闇よ』……それから、ええと……『扉を開けよ』? 違うな……『扉を示せ』でもないし……『道』だったっけ?」  サーラは自分の言葉にうなずいた。 「そうだ、『道』だ! うん、『とこしえの闇よ、我に道を示せ』だ!」.  その言葉を口にしたとたん、また壁が動きはじめた。ゆっくり後退しつつ九〇度回転して、少年の前に道を開く。中は真っ暗だ。数秒だけためらってから、サーラは足を踏み入れた。戸口を通過すると同時に、また扉が閉じはじめる。  どんな仕掛けになっているのかと振り返ったサーラは、驚愕《きょうがく》と恐怖のあまり尻餅《しりもち》をつき、悲鳴《ひめい》をあげそうになった。  ゾンビだ! ぼろぼろに腐って性別さえも分からない人間の死体が六体、扉の裏側にへばりついていて、岩に見せかけた重い扉を押し戻しているのだ。慌《あわ》てて見回すと、室内には他にも四体のゾンビがいて、棍棒《こんぼう》を片手に、壁際《かべぎわ》に立ちつくしている。  扉がずるずるという不気味な音を立てて閉じ、サーラはゾンビだらけの部屋に閉じこめられた。もはやこれまでかと、少年は絶望しかけた。  だが、ゾンビたちは彫像《ちょうぞう》のように立ちつくしたままで、襲《おそ》いかかってくる気配《けはい》はない。 「と……とこしえの闇よ、我に道を示せ!」  もう一度言うと、ゾンビたちはまた扉を開けはじめた。扉の裏側に埋めこまれている金具をつかんで、力を合わせて引っ張っている。サーラはひと安心して、大きくため息をつき、額《ひたい》の冷や汗をぬぐった。緊張が解けて、全身から力が抜ける。  ゾンビには前にも出会ったことがあった。ゾンビには知恵がないんだ、というデインの説明が思い出される。命令されたことを忠実に実行するだけで、それ以外の行動はいっさいできないのだ。襲えと命令されないかぎり、襲ってくることはない。  数秒してから、ゾンビたちはまた扉を閉めはじめた。サーラは扉を開けるゾンビと閉めるゾンビが別であることに気づいた。三体が引っ張って扉を開ける役目で、もう三体が開いた扉を押し戻す役目だ。働いていない三体は、扉に引きずられているだけだ——扉を開けてまた閉めろという命令さえ、ゾンビたちには難しすぎるのだろう。  それにしても、いったい誰がこんな仕掛けを造ったのだろう? そして、デルは何だってこんな場所にやって来たのだろう……?  あまりに大きな謎《なぞ》なので、じっとして考えこんでいても答は出そうになかった。彼女を追いかけるしかない。  部屋の突き当たりには、さらに奥へと続く通路の入口があった。棍棒を振り上げたゾンビが二体ずつ、両側を固めている。侵入者が通り抜けようとする瞬間を狙《ねら》って振り下ろすつもりだろうか? サーラは用心深く近づいていった。  しかし、ゾンビはやはり直立不動のままだ。たぶん合言葉を言わず押し入ってきた者だけを攻撃するように指示されているのだろう。サーラは不気味な衛兵《えいへい》の間をすり抜け、奥へと進んだ。  通路は天然の洞窟《どうくつ》ではなく、いちおうは人間の手で掘られたもののようだったが、雑な仕上げで、床《ゆか》は凹凸《おうとつ》だらけだった。天井《てんじょう》もやけに低く、大人ならかがまねばならないような箇所もあった。デルのランタンの灯は、もうどこにも見えない。  自分がまだ女の子の格好をしたままだということに気がついた。ここまで来たら、おそらくもう変装など意味はない。それどころか、長い髪やスカートが、いざという時に邪魔《じゃま》になる危険がある。  サーラはかつらをむしり取り、服を脱ぎ捨てた。万が一に備えて、スカートの下には武器を身につけていた。右の太腿《ふともも》に吊《つ》した革のホルスターに収められた、スティレットと呼ばれる針のように細いダガーだ。頼りない武器だが、ないよりはましだろう。肩に提《さ》げていた袋の中から、鍵開け用の�耳かき�を取り出し、落とさないように左の手首に紐《ひも》で結びつける。  服とかつらと肩掛け袋は、ひとまとめにして近くの岩のくぼみに押しこんだ。下着とブーツだけの身軽な姿になったサーラは、ランタンを掲げ、さらに先へと進んだ。トンネル内は地熱の影響か、適度に暖かく、薄着でも不自由はない。  しばらく歩くと、この通路に直交する細い枝道に出くわした。デルはどっちに行ったのだろう? 床を調べてみても、手がかりはつかめない。しばらく考えた末に枝道の方を選んだのは、根拠《こんきょ》があったわけではなく、ただの勘《かん》だった。  すぐにこの道を選んだことを後悔した。やたらに分岐《ぶんき》や曲がり角が多く、迷路のようになっていたからだ。この穴を掘った者は、かなりひねくれ者に違いない。帰りに迷わないよう、分岐点ごとに道を覚えるのがひと苦労だ。  どのぐらい迷っただろうか。唐突《とうとつ》に奇妙な部屋に出た。  横切るのに三〇歩はかかりそうな、大きな円形の部屋だった。天井はドーム状をしており、反対側の壁にもうひとつの出入口がある。ここまでの通路に比べて、仕上げがやけにていねいで、床には磨《みが》き上げられた大理石のタイルが敷かれていた。部屋の中央には、五本の杖《つえ》のようなものが垂直に突き立っている。中央にサーラの背丈ほどの円筒形の台座があって、その上に何か黒くて丸いものが乗っていた。  その正体を確かめようと、サーラは忍び足で部屋の中央に近づいていった。杖のように見えたものは、どうやら本当に魔法使いの杖らしかった。先端部にはそれぞれ小さな水晶の珠《たま》が載っている。  床に何かが描かれているのに、サーラは気づいた。大きな二重の円の内側に星形が描かれ、五本の杖がその頂点に突き立っているのだ。その線に沿って、見たことのない複雑な文字が並んでいる。もちろん読めはしなかったが、魔法に使う古代文字ってやつだな、とピンときた——フェニックスがいれば、読んでくれるのに。  図形を踏まないように注意して、反対側に回りこんだ。中央の円筒形の台座の上に載っているのは、予想した通り、人間のドクロだった。乾燥してしわくちゃになった皮膚の切れ端が、まだ表面にへばりついており、縮れた髪の毛のなごりが、黒い藻《も》のように垂れ下がっている。眼球の腐《くさ》り落ちた眼窩《がんか》は、うつろな黒い孔《あな》になっており、無念そうに虚空《こくう》を見つめていた。  気味の悪いものであったが、ゾンビの群れを目にした後では、さほど衝撃はなかった。サーラは冷静にそれを観察した。何かの儀式に使われたのだろうか……? 「……やめろ……」  突然、ドクロが口をきいた。サーラは心臓が止まるかと思った。 「……やめてくれ……お願いだ……死んでくれ……もう死んでくれ……」  ドクロは露出した歯をかたかた鳴らし、苦しそうにかすれた声を絞り出した。地獄の底から響いてくるような悲痛な声だ。そこにこめられた苦悶《くもん》と絶望は、この地底の闇《やみ》のように深かった。聞いているだけで全身の血が凍りつくようだ。サーラは恐怖のあまり魚のように口をばくばくさせ、足をもつれさせながら、出口に向かって後ずさりした。 「……頼む……殺せ……殺してやってくれ……終わりにしてくれ……」  ぼうっとした青い光がドクロを包みこんだ。それはゆっくりと煙のように湧《わ》き上がると、空中で苦しそうにゆらめき、おぼろげな人の姿になった。青い燐光《りんこう》を通して、苦悶する男の顔が見えた。そいつはサーラに向けて手を差し伸べた。 「……お願いだ……殺してくれ……あの子を殺してやってくれ……」  サーラはパニックに襲《おそ》われ、転がるようにして部屋から飛び出した。戸口から走り去る時、ほんの一瞬、亡霊《ぼうれい》が最後につぶやいた言葉が耳に入った。 「……デル……」  その先は長くまっすぐな廊下《ろうか》が続いていた。よろめきながら走り続けるうち、どうにかパニックがおさまってきた。亡霊が追いかけてくる気配《けはい》はない。サーラは立ち止まり、壁に手をついて、犬のようにあえいだ。乱れた呼吸はなかなかおさまらない。小さな心臓は激しく動悸《どうき》しており、今にも破裂しそうだ。  あのドクロはいったい何なんだ? サーラの頭の中で疑問が渦を巻いていた。誰が、どうして、あんなところに置いたんだ? あの亡霊は何を言おうとしたんだ?——そして、何だってデルの名を呼んだんだ?  混乱した頭では結論が出るはずもなかった。ただひとつ確かなのは、後戻りはできないということだ——あの部屋をもう一度通過する勇気は、とてもない。  しばらく休憩して、どうにか平静さを取り戻せたように思ったので、サーラは通路をさらに先へと歩きはじめた。心臓の動悸はまだ激しい。一刻も早く、こんな恐ろしい場所から抜け出したかった。  このあたりの床は平らで、石ころなども落ちておらず、掃《は》き清められているようだった。左右の壁には等間隔で扉《とびら》が並んでおり、壁にはランタンを掛ける釘があった。人の住んでいる気配がする。  前方の曲がり角に明かりが見えた。一瞬、ほっとしかけたものの、その正体が何だか分からないのだと思い直し、警戒心を強めた。ランタンの灯を消し、身をかがめて、ゆっくりと忍び足で近づいてゆく。  角を曲がったところに、大きな部屋があった。二階層吹き抜けになっており、下の階を見下ろす大きなバルコニーがある。サーラが出てきたのはそのバルコニーで、すぐ傍《そば》には下に降りる階段があった。下から人の話し声が聞こえる。 「……まだ決心がつかないのかね?」  しゃがれた老人のような声だった。口調はやさしいのだが、やさしすぎてかえって気味悪い感じがする。布をかぶせたようにくぐもっているのが奇妙だ。 「もう充分に私たちの話をしてあげたではないか? まだ何を迷っているんだね?」 「だって……あなたたち、悪い人よ」  これはデルの声。相手を責めているようだが、自信のなさそうな口調だ。 「�悪い人�か? ははは……」  わざとらしい笑い声が天井《てんじょう》に反響する。 「そんなことを言ったら、世の中に�いい人�などいるのかね? 君の所属している盗賊ギルドはどうだ? 他人の金を盗《ぬす》んで儲《もう》けているじゃないか。あれは悪いことではないのかね? ん?」 「……生きるためよ」 「私たちだってそうだよ、デル。より良く生きるためにこの道を選んだのだ。悪事を成すことが目的ではない。目的のために用いる手段が、時として他人からは悪のように見えるというだけなのだ」  サーラはバルコニーに這《は》いつくばり、手すりの合間から下の階の様子をうかがった。広間の中央の一段高くなったところに、背もたれのない椅子《いす》が置かれていて、デルはそこに座らされている。部屋の四隅で燃えているたいまつに照らされて、床の上にX字形の影を落としていた。  全身を灰色のロープとフードで覆《おお》った人物が、機械仕掛けのようなぎこちない足取りで、彼女の周囲を歩き回っていた。よほどの老人なのか、あるいは体が悪いのかもしれない。もう一人黒いマントを羽織《はお》って、黒い仮面で顔の上半分を隠した男がいて、部屋のいちばん奥、デルと相対する位置にある椅子に座っている。  喋《しゃべ》っているのはもっぱら歩き回っているローブの男の方だったが、黒い仮面の男の方がボスではないか、とサーラは直感的に思った。ローブの男にはみすぼらしさが感じられるのに、仮面の男はただ座っているだけで、全身から強烈な威厳《いげん》を発散させていたからだ。肘掛《ひじか》けに肘をつき、金の指輪をはめた長い指でこめかみを支えて、二人の会話に耳を傾けている。髪の毛は闇《やみ》のように黒い。 「あなたたち……悪い人よ」デルは繰《く》り返した。「通報したら、みんな捕《つか》まる……」 「では、なぜそうしないのかね?」ローブの男は両腕を広げた。「この秘密の集会所のことを、どうして衛視《えいし》に密告しないんだね? 私たちが君に話したことを、どうしてお母さんやアルドに洩《も》らさないんだね? 私たちの秘密を知ったら、彼らはたちまちここに殺到《さっとう》してくるだろうに」 「だって……」デルは困惑《こんわく》していた。「みんなが捕まえに来ても……あなたたち、逃げでしまうもの」 「もちろんだとも」男はくすくす笑った。「前にも話したように、衛視や盗賊ギルドにも私たちの情報網はあるからね。襲撃は事前に分かる……それに知っての通り、このトンネルにはそこら中に�ゾンビの鐘�が仕掛けてある。君以外の人間が気づかれずに近づくことは不可能だ。  彼らがゾンビたちに手間取っている間に、私たちは秘密の通路を通ってさっさと逃げ出す。彼らがここまでたどり着いた時はもぬけの空《から》だ……こんな場所のひとつやふたつ、潰《つぶ》されたところで痛くはない」 「でも……」  デルが何か言いかけたのを、男は手を上げてさえぎった。 「だが、問題はそんなことではないのだ。君がなぜ密告しないのか? 私たちを悪い人間だと思い、心底から嫌っているなら、なぜ誰にも話さず、休日ごとにこの場所に通い続けているのか?——それを訊《たず》ねているのだよ」 「それは——」 「それは、君が私たちに興味があるからだ」デルの言葉を男は横取りした。「私たちの言っていることが正しいと理解しているからだ。私たちが君の味方であり、君を決して傷つけないことを知っているからだ」 「違う——」 「いいや、違わないよ。自分の心に正直になりたまえ。君は私たちが好きなんだ。そうでなければ、私たちの誘いに乗って、一人でこんなところに来たりはしない。私たちを信じたから、ここに来たんだ。そうだろう?  私たちだってそうだ。君を信じたからこそ、この秘密の場所のことを教えたのだ。私たちはすでに互いに信じ合っている。重大な秘密を共有している——私たちはすでに仲間なんだよ、デル」  巧みな弁舌だった。自分の考えを、あたかも相手の考えのように話すことによって、知らず知らずのうちに相手の考えをねじ曲げ、自分に近づけてゆくのだ。  サーラに見えるのはデルの横顔だけだったが、彼女の心が千々に乱れているのが分かった。すでに男の術中にはまり、本当の自分の心がどうなのか、分からなくなっているのだ。声をかけてやりたいが、今はできない。  それにしても、こいつらはいったい何者だろう? 「君に必要なのは、ほんのちょっとした勇気だ」男は追い打ちをかけた。「真実を認め、自分の心と向き合う勇気だ。壁を飛び越す勇気だ」 「壁?」 「そうだ。私たちに対する偏見《へんけん》が、君を臆病《おくびょう》にさせている。それが君に真実を拒否させているのだ——だが、恐れることはない。心の中にある偏見という名の壁は、よく見れば決して高くはない。軽くジャンプすれば飛び越せる。ほんのちょっとした勇気さえあればいいんだ……」 「……あなたたち、悪い人よ」デルはまた同じことを言ったが、さっきよりずっと自信がなくなっていた。「私を騙《だま》してる……」 「そう、私たちは確かに�悪い人�かもしれん。しかし、それは自然なことなのだ。人間はみんな悪の心を持っている……自分勝手な生き物なんだ」 「……違うわ」デルは小さくかぶりを振った。 「どう違うんだね?」 「だって……アルドさんは親切にしてくれる……」 「本当のお父さんみたいに、かね?」男は嘲笑《ちょうしょう》した。「同じだよ。アルドという男にも悪い心はある。君への親切にどんな下心があるか、分かったもんじゃない。いざという時には君を見捨てるよ」 「そんなことない……!」 「そうかな? では、君の本当のお父さんはどうだったかね?」  デルの細い体がびくっと震えるのが、サーラにも分かった。 「やめて……」 「君が救いを求めた時、君のお父さんは助けてくれたかね?」 「……あれは……しかたなかったのよ……」 「君が苦しんでいる時、君のお父さんは何をしたね?」 「やめて……」  デルは必死に耳をふさぎ、体を丸めた。しかし、男は震える少女の上にかがみこみ、決定的な言葉をささやいた。 「君を殺そうとしたんじゃないのかね[#「君を殺そうとしたんじゃないのかね」に傍点]?」 「やめて!」デルは絶叫した。「やめてえ!」  少女は顔を覆い、すすり泣きはじめた。それはサーラの初めて見る、デルが感情をあらわにした瞬間だった。  その意味するものの重大さに気づき、サーラは愕然《がくぜん》となった。アルドでさえデルの心を開かせることはできなかったというのに、彼らはそれに成功している——すでに彼女は彼らの手中にあるのだ。  それにしても、英雄と呼ばれたバルティスが、自分の娘を殺そうとしたなんてことがありうるだろうか? 「あなたたちだって……」少女は泣きながら言った。「あなたたちだって同じだわ……私を騙して……裏切るつもりだわ……」 「いいや、決して裏切らない」男は力強く言った。  デルは涙に濡《ぬ》れた顔を上げた。 「どうして?……何でそんなことが言えるの?」 「なぜなら、私たちは仲間だからだ。親子の血の絆《きずな》や、友情の絆より、もっと強く固いもので結ばれている。同じひとつの神を崇《あが》め、その庇護《ひご》の下で、真の自由、真の愛、真の幸福に満ちた理想世界の実現を目指すのだ」 「理想世界……?」 「そうだ」男は少女に向かって両腕を差し伸べ、唄《うた》うように言った。「真の自由とはすなわち混沌《こんとん》たること、真の愛とはすなわち欲望を満たすこと、真の幸福とはすなわち快楽に酔うこと……裏切られる前に裏切り、奪われる前に奪う。これがこの世界の原則だ。我ら以外のすべての者は、我らの略奪《りゃくだつ》の対象にすぎない……。  分かるだろう、デル? 恐れを捨て、真実を認めるのだ。私たちはすでに兄弟だ——偉大なる暗黒神ファラリスの子供たちなのだよ」  ファラリス!  邪悪《じゃあく》な名を耳にして、サーラは驚きのあまり大きく息を飲んだ。一瞬、左腕が動いて、手首に結んだ�耳かき�が、バルコニーの床をひっかいてしまった。  そのわずかな気配《けはい》を、仮面の男は聞き逃《のが》さなかった。椅子からさっと立ち上がると、マントを払いのけ、バルコニーを指さして叫《さけ》ぶ。 「ハッ!」  男の指先から目に見えない衝撃波が飛んだ。それはバルコニーの手すりの合間を貫通し、少年の小さな体を吹き飛ばして、後ろの壁に叩《たた》きつけた。  苦痛と衝撃で、サーラは気が遠くなった。張りつけにされた壁からずり落ち、横によろめいた拍子に、階段から足を踏みはずす。少年は小さな雪玉のように、長い階段を転げ落ちていった。 「サーラ!?」  デルは駆け寄った。サーラは糸の切れたあやつり人形のように、階段の下にうつ伏せに倒れている。ひざまずいて抱き起こすと、額《ひたい》から血が流れていた。かろうじて意識はあったが、全身に打撲傷《だぼくしょう》を負い、死にかけている。 「手加減《てかげん》したつもりだったのだがな……」  仮面の男はぶらぶら歩み寄ってきて、釣りの話でもするかのように、平然と言った。フードの男の醜《みにく》いしゃがれ声とは対照的に、吟遊詩人《ぎんゆうしじん》になれるのではないかと思える、深みのある美声だった。 「少しやりすぎたか……しかし、どうやって�ゾンビの鐘�を抜けたのかな?」  デルは男を見上げて嘆願《たんがん》した。 「お願い! 助けて! サーラを助けて!」 「分かっている」  そう言うと、仮面の男は傷ついた少年の上に手をかざし、何かを唱《とな》えた。  混乱する意識の中で、サーラは全身の痛みが急速に引いていくのを感じた。どこからか放射される暖かい力が、体内に浸透し、傷をみるみる癒《い》やしてゆく。デルが額の血をぬぐうと、すでに頭部の傷は消えていた。  ほどなく、少年は完全な健康体に戻っていた。 「起きろ」男は命じた。「自己紹介をしてもらおうか」  だが、サーラはすぐには起き上がらず、ぐずぐずしていた。何度も頭を振り、「うーん」と弱々しいうめき声をあげながら、なるべくゆっくり立ち上がる——意識と知覚が平常に戻るための時間を稼ぐためだ。  心配そうなデルの手を振りほどいて立ち上がったサーラは、まだふらついているふりをしながら、長身の仮面の男と向かい合った——次の瞬間、起き上がりながらホルスターから抜き取ったスティレットを、男の咽喉《のど》めがけて勢いよく突き出す。  しかし、男は軽くそれをかわした。反対にサーラの右手首をつかみ、ねじりあげる。サーラの腕に激痛が走った。力の抜けた指からスティレットがすり抜け、床に落ちてチンという澄んだ音を立てた。 「いい動きだ」男は冷静に評した。「素質はある。度胸《どきょう》もいい——だが、あいにくと修行が足りん」  サーラは背後から男に両手首をつかまれ、抵抗を封《ふう》じられていた。体をくねらせ、脚をじたばたさせるが、効果はない。長身の黒ずくめの男と、白い肌の小さな少年の対比は、まるで蜘蛛《くも》に捕えられた蝶のようだ。 「サーラ!」  駆け寄ろうとしたデルは、背後からフードの男に肩をつかまれ、足止めされた。 「逃げろ、デル!」サーラはもがきながら必死に叫んだ。「こいつらの言うことをきいちゃいけない! 騙されるな! こいつらは——」  仮面の男は片手を離し、サーラを振り向かせた。その額に手を当て、「精神攻撃《メンタル・アタック》」の呪文《じゅもん》を唱《とな》える。精神に強い衝撃を受け、サーラはあっさり失神《しっしん》した。  床に倒れる直前、男は少年のほっそりした体を受け止めた。そのまま左腕でひょいと抱き上げる。 「君の友達かね?」男は気を失っているサーラの顔を、興味深そうに覗《のぞ》きこんだ。「いい顔をしているな……」 「殺さないで!」デルは叫んだ。「その子を殺さないで!」 「殺しはしないとも」仮面の男は微笑んだ。「私たちを血に飢えた殺人鬼《さつじんき》とでも思っているのかね? そんなことはない! 私たちは無意味な殺しなどしない——」 「でも……」 「ああ、もちろん、このまま帰すわけにはいかん。秘密を知られてしまったからね。この少年の身は私が預ろう」  少女の顔に不安の影がよぎった。ほっそりした金髪の少年は、仮面の男の左腕に抱きかかえられ、肩によりかかってぐったりとなっている。まるで白い花束のようだ。その生命を絶つのは、花を折るのと同じぐらいたやすいだろう。男が右腕を伸ばし、少年の細い首筋に手をかければ—— 「もし殺したりしたら……」デルはにらみつけた。「二度とあなたたちの言うことなんか聞かない……仲間になんかならない……」 「殺さないよ」男はやさしく言った。「それが君への誠意の証《あかし》になるなら、喜んでそうしよう。この少年の命を奪っても、何の得にもならないからね」 「本当ね?」デルはすがりつくような目で男を見上げた。「本当に殺さないのね?」 「ああ、殺さないとも」 「傷もつけない? 約束する?」 「もちろんだ。誓うとも。君の嫌《いや》がることなどしない。私たちは君の味方だからね。その代わり……」 「その代わり……?」 「この少年を殺さなかったら、私たちの誠意を信じてくれるかね? 仲間であることを認めてくれるかね?」  デルはたじろいだ。仮面の男の口調はあくまでやさしかったが、言っていることは脅迫《きょうはく》だった。もし要求を飲まなかったら—— 「……ええ」少女は震えながらうなずいた。「ええ、認める……」 「入信の儀式を受けるかね?」 「ええ……」 「よろしい」男は白い歯を見せて微笑んだ。「よく決意してくれた——今夜さっそく、入信の儀式を行なうとしよう。それで正式に、君は私たちの仲間となるのだ」  デルはもう何も言い返す気力もなく、無言で力なくうなだれた。  そんな会話が交わされているとも知らず、サーラは男の腕の中で、夢も見ずに眠り続けていた……。 [#改ページ]    6 ゲームプレイヤー 「……それにしても、あなた様みずから、こんな場所までご視察に来られることもございませんでしたのに……」 「……なに、ベルダインでの別の件を片付けた帰り道だ。ザーンでの工作には、私も興味があるからな……」  目が覚めた時、真っ先にサーラの耳に飛びこんできたのは、そんな会話だった。 「やはり私のようなものは信頼していただけませんか?」 「そんなことはない。信頼しているとも。ただ、何もかも部下|任《まか》せにして、ギルドの奥に閉じこもっていると、末端の状況《じょうきょう》が把握《はあく》できなくなってくる。それは大きなミスにつながる。四年前のようにな——だからこそ、一年の半分は外に出て、自分の目で工作の進展具合を確認するようにしているのだ」  話しているのは、あのフードの男と仮面の男だった。思った通り、仮面の男の方が上司であるらしい。ぼんやりした頭で内容を理解するのは難しかった。少年の乏《とぼ》しい知識では測り知れない、大きな計画について話しているらしい。  サーラは自分が不自然な体勢で横たわっていることに気づいた。両腕は頭上に上がったまま降りてこないし、脚も重くて動かせない。首をめぐらし、灰色の暗がりを見通して、自分の置かれた状況を把握しようとした。  岩をくり抜いて造られた部屋で、家具は少ない。部屋の中央はカーテンで仕切られ、会話はその向こうから聞こえてくる。カーテンの上端から洩《も》れるランタンの光が、天井《てんじょう》をオレンジ色に染めていた。  彼が寝かされているのは大きなベッドだった。両手首には8の字形の鋼鉄製の伽《かせ》がはめられ、降参する時のように両腕を高く持ち上げた状態で、ベッドの上端のどこか見えない場所に鎖でつながれていた。脚も同様で、ブーツを脱がされ、両足首に伽をはめられて、鎖で固定されている。  結局、今のサーラにできるのは、カーテンの向こうにいる二人の会話を盗《ぬす》み聞きすることぐらいしかなかった。 「確かに、何か月もかけた説得にも折れなかったあの娘が、あなた様の言葉であっさり折れましたからな」 「たいしたことではない——入信はほんの序の口にすぎん。本当に大変なのはこれからだぞ、ウィーラン。あの娘が成長し、ザーンの盗賊《とうぞう》ギルドの中で頭角《とうかく》を現すのを影から援助してやらねばならん」 「それは存じておりますが……」  ウィーランと呼ばれたフードの男の声には、疑念が混《 ま》じっていた。 「何だ?」 「私にはどうも納得《なっとく》がいきません。あの娘の影響力を少々買いかぶりすぎではございませんか? 何と言っても、まだ十二歳の子供なのですぞ」 「子供を甘く見てはいかん。レアンなど七歳で人を殺していたぞ」  ウィーランはくすくすと笑った。「レアン様は特別でございますよ。あのような方は、そうそうおられますまい」 「生まれた時からああだったわけではない。本来の素質ももちろん重要だが、それを開花させるのは育て方であり、環境だ。素質と環境、その二つの条件が満たされた時、人はその才能を完全に発揮できる……」 「デルには素質があると?」 「当たり前だ。あのバルティスの娘なのだぞ」 「髪の色以外、父親には似ておりませんが……」 「お前は人を見る目がないのだ、ウィーラン」仮面の男はたしなめた。「見ていろ。あと五年もすれば、あの娘はとびきり美しくなり、隠された才能を発揮するようになる。十年もすれば、盗賊ギルドを牛耳《ぎゅうじ》るほどに力を持つようになる」 「気の長い計画ですな」ウィーランは愚痴《ぐち》を言った。「こういう回りくどいやり方は、私の性《しょう》に合いませぬ」 「小国とは言え、ひとつの国をそっくり乗っ取るのだ。それぐらいの時間をかけるのは当然だろう。このやり方ならきわめて安上がりで済む。軍隊による侵略など、金ばかりかかって、障害も多い。闘争心の抑《おさ》えのきかぬ愚《おろ》か者のすることだ。他の諸都市でもそうだが、このザーンでは特に盗賊ギルドの影響力は大きい。ギルドの承諾なしには、国王は税金を上げることも、戦争を起こすこともできん。ドレックノールの例でも分かるだろう? 国を本当に支配しているのは、王でも貴族でもなく、盗賊ギルドなのだ。言い換えれば、盗賊ギルドを支配すれば、その国の全機構を支配したも同然ということだ。民衆は自分たちが我々《われわれ》に支配されていることすら気づかん……」 「あの娘がザーンの影の女王になるわけですか?」 「そうだ——だが、あの娘の力だけでは不可能だ。今のあの娘は、地を這《は》う醜《みにく》い芋虫《いもむし》にすぎん。いずれは美しい蝶になるだろうが、それには手助けが必要だ。我々はあの娘が美しく成長する手助けをするのだ……」  何ていう連中だ! サーラは戦慄《せんりつ》とともに、怒りを覚えた。この国を乗っ取るために、デルを利用するなんて! 「えらくあの娘にご執心《しゅうしん》ですな」ウィーランの声には皮肉がこもっていた。「惚《ほ》れられましたか?」 「まさかな」仮面の男はくすくす笑った。「私の趣味は知っているだろうに」 「なるほど、そうでしたな」ウィーランも不気味なふくみ笑いを洩《も》らした。 「私はあの娘の才能を評価しているだけだ。そのような邪念《じゃねん》がないからこそ、正当な評価が下《くだ》せる」 「では、あの少年の評価はいかがですかな?」いきなり自分の話になったので、サーラは緊張した。 「どうだと思う?」男はとぼけた。 「さあて」ウィーランはとぼけ返した。「私は人間と違って、美の基準というものがよく分かりませぬ。あの少年にしても、新鮮な肉の塊《かたま》りとしか見えません。さきほども、隣《となり》ですやすや眠っているのを見て、食ってみたくてたまりませんでした」  その光景を想像し、サーラは背筋に悪寒《おかん》を感じた。 「食うなよ。屍肉《しにく》でがまんしておけ」仮面の男は笑った。「殺さぬとデルに約束した。生かしたままドレックノールにつれて帰る」 「親衛隊《しんえいたい》に加えられるおつもりですか?」 「そうだ。見たところ、素質は充分にある。思いがけない逸材《いつざい》だ。かわいがってやれば、伸びるだろう」 「まるで父親の台詞《せりふ》ですな」ウィーランが皮肉る。「あなたを冷酷非情と思っている者が、そんな心やさしい台詞を聞いたら、仰天《ぎょうてん》するでしょうな」 「私は非情だとも」 「しかし、思ったほど多くは殺されませんな」 「殺す必要のある者は殺す」男はきっぱりと言った。「だが、殺す必要のない者まで殺すことはない。そんなことをするのは愚か者だ。死人には利用価値はないが、生かしておけば必ず何か利用できるのだからな——あの娘もそうだ。四年前にあの娘を生かしておいたのは、正解だったろう?」 「確かに——しかし、四人は殺されましたな?」 「あの四人には、もう利用価値はなかった。四人を殺すことによって、あの娘が我《われ》らの手に入った……世界は巨大な遊戯盤《ゆうぎばん》のようなものだ。弱い駒を見捨てても、それで強い駒が取れるなら交換べき場合もある。ひとつひとつの戦いの勝敗など、些細《ささい》な問題にすぎん。盤全体を見渡す者が、最後に勝利を得る……」 「私も駒のひとつですか?」ウィーランは不満そうだ。  仮面の男は苦笑した。「私が信用できんか? メジオンの沼地で屍肉を漁《あさ》っていたお前を拾って、この地位につけてやったのは、この私だぞ」 「しかし、いざとなれば躊躇《ちゅうちょ》なく見捨てるお方です……」 「有能で忠実であるかぎり、見捨てはせん。安心しろ」 「はあ……」 「時に……」仮面の男は話題を変えた。「バルティスはどうした? 殺す方法は何か見つかったか?」  今朝から驚くことずくめで、感覚が少し鈍《にぶ》ってきたサーラにも、その言葉はさすがに衝撃的だった。バルティスがまだ生きている!? 「まだです——何しろ、うかつに結界《けっかい》に入るのは危険ですし、通常の武器も役には立ちません……」 「そんなことは分かっている。もう四年だぞ? 奴《やつ》の恨《うら》みの声は聞き飽きた」 「精霊《せいれい》使いを呼んできて、闇《やみ》の精霊をぶつけさせてみたのですが、たいして効果はありませんでした。精霊使いを疲れさせただけです」 「当然だろう。奴の怨念《おんねん》は異常に強いからな」 「もっと強力な術の使える精霊使いが必要です。ほら、あのダークエルフは何という名前でしたかな? タラントでゴブリンどもを指揮している……」 「ああ。あいつは死んだ」 「ほう? それは残念です」 「かまわん。どうせ愚《おろ》かな男だった。向こうから私に接触してきただけで、信用してはいなかった」 「そうなると、困りましたな」ウィーランはうなった。「『精神攻撃』も効果はありませんし、あれほど強力な怨念を滅ぼす手段となると……」 「今度来る時までに探しておけ。あいつにとどめを刺せないのは、奥歯に食べかすがはさまっているようで、気分が悪い」 「はい……」 「どれ」男がおもむろに立ち上がる気配《けはい》がした。「帰りの手配をする前に、あの少年の寝顔を見て行くか」  サーラは慌《あわ》てて、ぎゅっと目を閉じ、まだ眠っているふりをした。カーテンが開かれ、男が近づいてくる気配がする。  ベッドの脇で立ち止まった男は、鎖につながれて横たわっている少年を見下ろし、ふんと鼻で笑った。 「目を開けろ」男は命じた。「起きているのは分かっている——人間は眠っている時と起きている時では、呼吸の早さが違うのだ。覚えておくことだな」  サーラはしぶしぶ目を開いた。  仮面の男は、もう仮面をつけてはいなかった。意味ありげな笑みを浮かべて自分を見下ろすその顔が、異様なまでに美しいことに、サーラは驚いた。女性の愛らしさとも、男性の精悍《せいかん》さとも違う、性別を超越したなまめかしさ——毒花の鮮やかな色にも似た、妖《あや》しい美しさだった。  年齢の見当はつきにくいが、三十代には達していないだろう。闇《やみ》のように黒い髪が、その顔色の白きを際立たせている。 「サーラと言ったな。小さいが度胸《どきょう》がある。気に入ったぞ」  男の口調はあくまでやさしかったが、そのやさしさがかえってサーラを警戒させた。たとえて言うなら、剣の刃先を前にしているような緊張感だった。一瞬たりとも気を抜けない。油断したら、心の内側まで斬《き》りこまれてしまう……。 「私たちの話を聞いていたな?」  サーラは無言でうなずく。 「まあいい。聞かれても支障はない。どのみちお前は、そう遠くない将来、私の下で働くことになるのだからな。今のうちに事情を知っておくのも悪くない」 「勝手に決めるな!」サーラはにらみ返した。「お前らみたいな悪い奴の手下になんかならないぞ!」 「元気がいい」男は顔をほころばせた。「たいていの子供は、こういう状況では萎縮《いしゅく》するか、泣き叫《さけ》ぶかするものなのだがな」 「お前らの計画なんて、みんなバレてるぞ!」サーラははったりをかけた。「この場所のことを知らせたから、もうじき衛視《えいし》がここになだれこんで来るんだ。お前たちなんか一網《いちもう》打尽《だじん》さ。今のうちに逃げた方がいいぞ!」  サーラの懸命の演技にも、男はまったく動じない。 「つまらん嘘《うそ》はよせ。助けなど来ない。お前が�ゾンビの鐘�を通り抜けたのはただの偶然だということは、とっくに調べがついている」 「ゾンビの鐘?」 「簡単な仕掛けだ。お前は気づかなかっただろうが、ここに来る途中の道には、川の中や岩蔭《いわかげ》に、何体ものゾンビが潜《ひそ》ませてあったのだ。彼らは長い紐《ひも》を握っていて、通りかかる者がいればそれを引く……紐の先端はこの洞窟《どうくつ》につながっていて、紐が引かれると鐘が鳴り、侵入者の接近を知らせてくれるわけだ。ただし、デルを通すために、『黒髪の子供は無視しろ』と指示してあった。  入口の近くで、黒髪のかつらを見つけた。お前が鐘を鳴らさずにここまで来れたのは、その変装のおかげだ。ゾンビどもは命令に忠実だが、あいにくと変装を見破るだけの知恵はないし、子供の顔の見分けなどつかん……」 「……僕をどうするんだ?」 「安心しろ、殺しはしない——ドレックノールにつれて帰る」 「ドレックノール……?」 「そうだ。さっきも言ったように、私の下でみっちり教育して、優秀な部下に育て上げる……」  突然、稲妻《いなずま》のような閃《ひらめ》きとともに、サーラはこの青年の正体に思い当たった。ミスリルから何度か聞かされたことのある名前だった——ドレックノールの盗賊ギルドの六大幹部の一人にして、謀略《ぼうりゃく》と情報の長。その顔は妖しいまでに美しく、配下にも美少年を揃《そろ》えているという。剣のように冷たく、獣《けもの》のように残酷。西部諸国で最も危険な男……。 「�闇の王子�ジェノア……!」 「ほう、知っていたが」ジェノアは微笑《ほほえ》んだ。「子棋にまで知れ渡っているとは、私も意外と有名なのだな。困ったことだ。私のような者は、あまり有名であってはいけないのだが……」  ジェノアはベッドにかがみこみ、サーラに顔を近づけた。髪にかかっている香水の匂《にお》いが嗅《か》げるほどだ。サーラは嫌悪感《けんおかん》に顔をそらせた。 「どうだ? 私のような者の下で働けるのは、名誉だと思わんか?」 「思うもんか!」サーラは歯をむき出して威嚇《いかく》した。「悪党! 人殺し! お前なんかに絶対従わないぞ!」 「私の部下の中にも、かつてそう言っていた者が何人もいる」ジェノアは目を細め、愛しそうにうなずいた。「だが、結局はみんな屈服《くっぷく》した。時間さえかければ、私の思い通りにならないものは、この世に何ひとつない——」 「拷問《ごうもん》にかけたって無駄《むだ》だぞ!」 「誰が拷問にかけると言った? お前のようなかわいい子供を傷つけたりなどするものか。単純な暴力や恐怖では、真に人間を従わせることなどできない。魔法や毒薬にしても同じことだ。一時的に精神を操《あやつ》ることはできても、永久に服従させることは不可能だ——人間を心から従わせることができるのは、愛だけだ」 「愛?」  男の口から意外な単語が出たので、サーラは驚いた。 「そう、愛だ」ジェノアは深くうなずいた。「快楽と言ってもいい。暴力や苦痛に耐えられる人間はいるが、愛や快楽に耐えられる人間はいない。お前はまだそんな世界のことは何も知るまい? 私がそれをひとつひとつ教えこんでやる。愛でお前を包みこむ。お前は私を愛するようになるのだ」  ジェノアは手を伸ばし、サーラのシャツをそっとまくり上げた。金の指輪をはめた細い指を少年の裸の胸にやさしく走らせ、自分の名をつづってゆく。サーラはもがき、逃《のが》れようとしたが、手伽足伽のために自由がきかない。 「今のお前は白紙の本のようなものだ。身も心も純白だ。そこに私が名前を書きこむ。こんな風に……」  むなしく身をよじりながら、毒蛇が肌を這《は》い回るような異様な感触に、サーラは必死に耐えていた。これまで味わったことのない恐怖と嫌悪と恥辱《ちじょく》で、気が狂いそうだった。目をぎゅっと閉じているのに、熱い涙がこぼれる。  しかし、泣き叫びたくなるのはどうにかこらえていた。歯をきつく食いしばり、声を出すまいとする。こいつは僕が泣くのを見たいんだ。叫ぶ声を聞きたいんだ。だったら絶対に泣いたりするものか……。 「……なかなか気が強いな」  ジェノアは満足そうにうなすき、体を起こした。 「ますます気に入ったぞ。これだけ強ければ、屈服させがいがあるというものだ——まあいい。急ぐことはなかろう。時間は充分にあるのだから」  ひとつの試練を乗り切り、サーラはほうっと長い息を吐いた。ほんの数十秒の出来事だったのだが、まるで重労働の後のように疲れ果てている。確かに、こんなことを毎日続けられたら、屈服してしまうかもしれない……。 「とりあえず、呪《のろ》いをかけられてはいかがです?」背後にいたウィーランがジェノアに助言した。「その方が扱いが楽かと思いますが?」 「ふむ……そうだな」ジェノアは考えこんだ。「馬車に乗せる時に鎖をはずさなくてはならん。これだけ元気がいいのだ。騒がれたり、逃げ出されたりしては困る。ドレックノールに帰るまで、抵抗できないようにしておこう」  ジェノアは再びかがみこみ、少年の胸に手を置いた。 「やめろ……!」  呪いという言葉に危険を感じ、サーラはとっさに身をよじって逃れようとした。しかし、ジェノアはそんなはかない抵抗を無視し、暗黒魔法《あんこくまほう》を詠唱《えいしょう》した。 「汝、サーラよ。偉大なる暗黒神ファラリスの名において命じる。いついかなる時も、我が命令に逆らうべからず……」  サーラは深い絶望に襲われた。呪いにかけられてしまった! もうジェノアに逆らえない。脱出の望みはいっさい失われたのだ……。  しかし、ジェノアの態度は奇妙だった。自分の手を見下ろし、サーラの表情と見比べて、怪訝《けげん》な顔をしている。 「どうなさいました?」ウィーランが声をかける。 「妙《みょう》だ……」とジェノア。「……呪いがかからん」 「はあ?」 「こんな子供相手に、失敗するはずがないのだが……ウィーラン、お前がやってみろ」 「はっ」  ジェノアが場所を譲り、ウィーランがぎくしゃくと進み出た。灰色のボロのローブに包まれたその姿を間近で見たサーラは、ようやくその男の異常に気づいた。暗いフードの奥に見えるのは、生きた人間の顔ではなく、腐敗《ふはい》のかなり進行したゾンビのそれだった。半ば白骨化し、眼球も失われている。手には手袋をはめていたが、ローブの袖から覗《のぞ》いている腕は、やはり骨と皮であった。動きがぎこちないのは、すでに死んでいるせいだったのだ——だが、ただのゾンビなら、喋《しゃべ》ったり考えたりできるはずがない。  サーラは心が麻痺《まひ》し、恐怖を感じることさえ忘れて観察した。こいつはいったい何者なのだろう? ウィーランは自分の胸に手をかけ、おもむろにローブをはだけた。サーラは驚きのあまり頭をそらせた。そいつの胸は空《から》っぽだった。皮膚も肉も内臓もなく、白い肋骨《ろっこつ》が籠《かご》のように残って、かろうじて体形を保っているだけなのだ——そして、空洞になった胸の内部には何か醜《みにく》いものがあって、赤く光る半円形の邪悪《じゃあく》な目で、肋骨の隙間《すきま》からサーラをにらんでいた。  そいつはごそごそと胸腔《きょうこう》から滑《すべ》り降りてきた。その全貌《ぜんぼう》を目にし、サーラは悲鳴《ひめい》をあげた。それは子供にとって最も恐ろしい存在だった。寝る前に聞かされるおとぎ話や、子供の間で語られる怪談にしか出てこないはずのもの——あまりに恐ろしすぎて、現実に存在するはずがないと信じていたものだった。  形はカボチャにそっくりだ。ごつごつした表面は黄色がかったオレンジ色で、目と鼻と口の形に穴が開いており、内部から赤い不気味な光が洩《も》れている。目と口は半円形で、下品に笑っていた。  ジャック・オー・ランタン!  そいつは肋骨から抜け出すと、ふわりと空中に浮かび上がった。背後に取り残された体は、ローブをはだけた姿勢のまま、硬直している——手足を持たないジャック・オー・ランタンは、その不自由を補うため、自分で創《つく》り出したゾンビの体内に潜《もぐ》りこみ、内側から操《あやつ》っていたのだ。  ウィーランの本体はゆっくりと降下してきて、身動きできないサーラの胸に着陸した。  おびえる少年の顔を見つめながら、呪文《じゅもん》を唱《とな》える。 「汝《なんじ》、サーラよ。偉大なる暗黒神《あんこくしん》ファラリスの名において命じる。いついかなる時も、ジェノア様の命令に逆らうべからず……」 「どうだ?」  ジェノアが声をかける。邪悪なアンデッドは少年の胸の上でぐるりと半回転し、上司を見上げた。 「だめです。かかりません」 「やはりそうか……」 「どういうことなのでしょう?」  ウィーランは浮き上がり、立ちすくんでいるゾンビの肉体に戻って、またごそごそと胸の中に潜りこんだ。 「分からん——だが、この少年には何か重大な秘密があるのは確かだ」 「どういたしましょう?」 「予定は変わらん。ドレックノールにつれて帰る。解明するのはそれからにしよう」  ジェノアはそう言ったが、この奇妙な現象が心にかかる様子だった。 「私は帰りの足を確保してくる。しっかり見張っていろよ」 「デルはどうしましょう? まもなく入信の儀式をはじめる予定ですが?」 「私がいなくてもできるだろう。まかせたぞ」 「は……」  二人は話しながら部屋を出ていった。とりあえず呪いをかけられずに済んだことで、サーラは緊張から解放され、深い安堵《あんど》の息を吐いた。  でも——どうして呪いがかからなかったんだろう? [#改ページ]    7 死者の告白  それから一時間あまり、伽《かせ》がはずれないかと懸命にもがいてみたが、手首にすり傷をつけただけに終わった。  闘志だけが空回《からまわ》りしていることに気づくにつれ、苛立《いらだ》ちはしだいに絶望へ変わっていった。やはりジェノアには勝てないのだろうか。このままドレックノールにつれて行かれて、あいつの慰《なぐさ》みものにされてしまうのだろうか……?  ジェノアの言ったことは本当だろう、という漠然《ばくぜん》とした予感がした。彼の�教育�を受けるようになったら、どんなに意志を強く持っていても、それほど長く抵抗していられるとは思えない。いずれは屈服《くっぷく》してしまうだろう。彼の部下になるなど、今はまだ虫唾《むしず》の走る考えだが、そう遠くない将来、それが喜びに変わるのだろう……。  数年後の自分の姿、邪悪《じゃあく》な笑みを浮かべ、ジェノアに忠実に寄り添う自分の姿が脳裏に浮かび、サーラは嫌悪《けんお》に身を震わせた。ジェノアに対する恐怖よりも、未来の自分に対する恐怖の方が大きかった。自分の信念や性格がねじ曲げられることは、今の自分が消えてしまうことである。それは単純な死よりも恐ろしい。  そんなのは嫌《いや》だ! 絶対に! サーラは自分の弱い心を叱責《しっせき》した。絶望なんかしない。  必ず逃げてやる。ジェノアの思い通りにされてたまるものか……。  その時、扉《とびら》の外が騒がしくなった。 「サーラに会わせて!」 「もうじき儀式をはじめる。広間に戻りなさい」  デルとウィーランが言い争いをしているのだ。 「もう殺したのね!?」 「そんなことはない。彼は元気だ」 「だったら会わせて!」 「しかし……」 「会わせてくれないと、儀式は受けないわ!」  いつも無口で内向的に見えるデルが、こんなにも強く自己主張できることは、サーラには驚きだった。普段は彼女の表面しか見ていなかったのだ。内に秘めた感情がこれほど激しいものだとは、想像もしていなかった——いったいどんな体験が彼女を閉じこもらせていたのだろうか?  押し問答はしばらく続いたが、ついにウィーランは折れ、「すぐに済ませるのだぞ」と念を押して扉を開いた。  ウィーランに付き添われ、デルがしずしずと入ってきた。いつもの黒い服ではなく、床《ゆか》にひきずるほどの長く黒いマントに、すっぽり身を包んでいる。マントの下は裸《はだか》らしい。脱いだ服はひとまとめにくるんで、脇《わき》に抱《かか》えていた。それを近くのサイドテーブルの上に置くと、ベッドの上のサーラに向き直った。  サーラは息を飲んだ。少女は化粧をしていた。目蓋《まぶた》を紫色に染め、唇《くちびる》を真っ赤に塗っているのだが、ただそれだけで、いつもの少年のような無愛想《ぶあいそう》さは消え、妖《あや》しい美しさが漂っている。憂《うれ》いを含んだ暗い表情は、その神秘性をいっそう際立たせていた——闇《やみ》の誘惑に魅《み》せられた者の美しさだ。  女は化《ば》けるものだ、というミスリルの言葉が実感できた。 「デル、その格好《かっこう》は……?」 「……儀式を受けるの。入信の」少女は感情のこもつていない声でささやいた。「あの人たちの仲間になるの……」 「だめだ!」サーラは叫んだ。「そんなのだめだ! あいつらは君を騙《だま》してるんだ! 利用しようとしてるんだよ!」  デルは視線を合わせたくないらしく、何もない壁の方を向いて、ひとり言のようにつぶやいた。「……知ってるわ」 「知ってるって……?」 「私だってそんなに馬鹿《ばか》じゃない。あの人たちが何のために私を誘惑してるか……私に何を求めてるかぐらいは分かる……」 「だったらなぜ……!?」 「だって、あの人たちが言ってることは正しいわ」  その言葉はサーラには頬《ほお》を張り飛ばされたような衝撃だった。「デル……?」 「そうでしょ? 人間は身勝手で、醜《みにく》くて、わがままな生き物だわ。だったら、欲望のおもむくままに、身勝手でわがままに生きるのが、人間本来のあるべき姿なのよ。私はあの人たちからそれを教えられた……」 「そんなことない!」サーラは懸命に否定した。「人間は醜くなんかない! 身勝手じゃないよ! 僕のまわりの人はみんないい人ばかりだよ。ミスリルも、デインも、レグも、フェニックスも……」  デルの口許《くちもと》に、ふと、皮肉な笑みが浮かんだ。「あなたは幸せね。そんな人たちに囲まれて……」 「君だってそうじゃないか! アルドさんはいい人だよ。本当に君のことを思ってるよ。さっき自分でそう言ったじゃないか!」 「そう……確かにそう……分かってるけど……」 「だったらどうして!? どうしてアルドさんに心を開いてあげないの!?」 「だめなのよ……」  デルは顔をそむけた。声が涙で曇っている。 「どうしてもだめなの……信じられないの……あの人は『私を本当のお父さんだと思いなさい』って言うけど、どうしても信じられないの。信用したら裏切られそうで怖《こわ》い……心から愛せない……『お父さん』という人は、誰も信じられない……」  サーラははっとした。彼女がアルドに対して心を開かない理由が、ようやく分かった気がした。 「デル、ひとつだけ教えて。君のお父さんが……バルティスさんが君を殺そうとしたってほんと?」  少女の背中が、針で刺されたように、びくっと震えるのが分かった。数秒間の重苦しい沈黙の後、彼女は苦しそうに口を開いた。 「ええ……ええ、本当よ」 「どうして? 何でそんなことを!?」 「あなたには分からないわ……」 「何で分からないんだよ!? 一つしか年が違わないのに!」 「分からないのよ……」デルはかぶりを振った。「体験した者でなければ、あの苦しみは分からない。私が『助けて』って何度も叫《さけ》んだのに……泣いて頼んだのに……お父さんは私を殺そうとした。ダガーで刺そうとしたの……」 「…………」 「四年も前のことなのに、ついさっき起きたことのよう……忘れたいけど、忘れられない……心にこびりついて離れないの……」  ひとつひとつの言葉を喋《しゃべ》るのさえ、デルは苦しそうだった。まるで裸足で針の山を歩くかのように、過去の記憶がよみがえるたびに、苦痛が心を突き刺すのだろう。 「それを助けてくれたのがあの人たちよ。あの人たちは私の怪我《けが》を治《なお》して、家に帰してくれた……だからあの人たちは信じられるの……」 「嘘《うそ》だ! みんな君を利用するためなんだ! 信じちゃだめだ!」  デルは振り返り、悲しそうに微笑《ほほえ》んだ。「あなたはいい人ね、サーラ。私のこと、心配してくれるのね……」 「当たり前じゃないか!」 「ありがとう。その言葉だけで充分よ……」 「充分? いったい何が充分なんだよ?」サーラは悔《くや》しさで涙が出そうだった。「ファラリスの信者になるなんて、僕が絶対に許さないぞ! 負けるなよ、デル! 騙されるんじゃない!」 「いいのよ……もういいの……誘惑に抵抗するの、疲れたから」 「そんな……!」 「さあ、もういいだろう」二人の会話をいらいらしながら傍観《ぼうかん》していたウィーランが、口をはさんだ。「早くしなさい。儀式がはじまる」 「ちょっと待って。もう少しだけ……」  そう言うとデルは、ベッドに横たわっているサーラに近寄った。泣き出しそうになるのをこらえているのか、手を口に当てている。苦悩と憂いにあふれた目からは、今にも涙がこぼれそうだった。 「あなたは心配しないで、サーラ。あの人はあなたを殺さないと約束した……」 「でも、あいつは僕を手下にするつもりなんだ!」 「どんな苦しい目に遭《あ》っても、死ぬよりはましよ……誘惑に抵抗するのが苦しくなったら、いつでも負ければいいの。私のように……あなたがどんな姿になっても、私はあなたに生きてて欲しい……」  サーラは必死に反論の言葉を探した。だが、それよりも早く、デルがベッドにかがみこんできた。彼女の顔がゆっくりと近づいてくる——あっと思う間もなく、二人の唇は重なっていた。  突然のことで理解できず、少年の思考は一時的に麻痺《まひ》した。頭の中で思考や感情がぐるぐると渦を巻く。生まれて初めての女の子とのキス——  混乱をさらに助長したのは、少女の濡《ぬ》れた舌が唇を押し開け、何か小さなものを口の中に押しこんできたことだった。サーラは反射的に舌の先でその形を探《さぐ》った。鉄の味がした。細長く、L字形をしていて、一方の端が尖《とが》っている……突然、その正体に思い当たり、声をあげそうになった。 �耳かき�の先端部!  デルは濡れた唇をおもむろに離すと、サーラを見下ろした。少年の唇に指を走らせ、付着した口紅をそっとぬぐう。その目は「何も言わないで」と訴えていた。サーラは無言でそれに応《こた》えた。 「死なないで、サーラ……生きていて、お願い……また会いましょう……いつか大人になったら……」  泣き出したくなるのをこらえて喋《しゃべ》るのは、それが限度だった。デルは身をひるがえし、逃げるようにして部屋から駆け去った 「やれやれ……人間の感情というやつはよく分からん」  そうぼやきながら、ウィーランは彼女の後を追って、のろのろと部屋を出て行った。  また室内に一人取り残されたサーラは、キスの衝撃の余韻《よいん》が残るぼんやりとした頭で、デルの行動の意味を考えていた。�耳かき�を折ってこっそり渡してくれたのは、逃げて欲しがっているからなのは間違《まちが》いない——でも、あのキスの意味は本当にそれだけだろうか? 彼女が出会うたびに見せた、あの奇妙《きみょう》なおどおどした態度が目に浮かぶ。もしかしたら、デルは前から僕のことを……?  考えても混乱するばかりで、結論は出そうになかった。今は雑念を振り捨て、脱出に全力を尽くすべきだと思った。  まず、口の中の金属片を手に移さなくてはならない。鎖の長さの許す範囲で、腕を思い切り曲げ、背中をそらし、首を伸ばしてみる。しかし、どうしても口まで手が届かない。  悪戦苦闘の挙《あ》げ句、サーラはあきらめて別の方法を試すことにした。  金属片を唇まで押し出す。頭をそらし、自分の手を仰《あお》ぎ見て、狙《ねら》いを定めた。思わず緊張してしまい、冷静になれ、と自分に言い聞かせる。失敗は絶対に許されない。ここで失敗したら、もう脱出のチャンスはないのだ……。  ぷっ! 口から金属片を吹き飛ばした。金属片は小さなアーチを描いて飛び、手首に当たって、シーツの上に滑《すべ》り落ちた。  慌《あわ》てて手探《てさぐ》りする。あった! 右手の指が折れた�耳かき�に触れた。落とさないよう、慎重《しんちょう》につまみ上げる。  ここからが難しい。�耳かき�を手伽《てかせ》の鍵穴《かぎあな》に差しこみ、指の感触だけで錠《じょう》をはずさなくてはならないのだ。初歩のシリンダー錠でも苦労しているサーラには、かなりの難事であるのは目に見えていた。  しかし、希望はある。こんな小さな伽なら、錠の構造はそんなに複雑ではないはずだ。十中八九、スプリングボルト式と呼ばれるタイプだろう。錠を閉じると、小さな板バネの力でボルトが押し出され、穴にはまって固定されるのである。鍵を差しこんで回すと、板バネが押し戻され、ボルトがはずれる仕組みだ。  このタイプの錠を開けるのは簡単だ。�耳かき�の先端でバネを探し当て、押し戻してやればいいのである。盗賊《とうぞく》ギルドの入って最初に練習させられた錠前で、これならサーラにもどうにか開けられる自信があった。  手首を思い切り曲げると、どうにか�耳かき�の先端が鍵穴に届いた。目を閉じて、鍵穴の中をごそごそ探《さぐ》ってみる。  最初のうち、なかなか内部の構造がつかめなくて苛立《いらだ》った。そのうち、昨夜のミスリルの助言が脳裏にひらめいた。「�耳かき�を強く握りすぎてるからだ。軽くつまむようにして持った方が、感触がよく分かる」……そうだ、あせって力を入れすぎてるから、かえって分からないんだ。力を抜いて、慎重に探らなくちゃ……。  やがて錠前の構造が把握《はあく》できた。やはり単純なスプリングボルト式だ。�耳かき�を板バネの端にひっかけ、押し戻そうとする。しかし、ほんのちょっと戻せたと思ったら、工具がバネの表面でつるりと滑《すべ》ってしまった。手首を不自然に曲げているので、指が自由に動かせないのだ。あせる心を抑《おさ》え、やり直す。  失敗すること二十数回、ついにボルトがはずれた。手首をひねると、カチャッという音を立てて伽が開いた。慎重に手を抜き取り、安堵《あんど》のため息をつく。手首にすり傷ができていて、ひりひりと痛む。  ベッドの上に上半身を起こし、今度は足伽に取り組んだ。こっちは手の自由が利《き》くので、ずっとやりやすい。やはり何度か失敗したものの、手伽の半分以下の時間ではずすことができた。  数時間ぶりで、サーラはベッドから降り立った。下着だけで、ブーツもなく、ほとんど裸と変わりない格好《かっこう》だ。何か武器になるものはないかと室内を見回す。サイドテーブルの上にある黒い布包みが目に止まった。デルが服を置き忘れていったのだ——いや、それともサーラのために残していったのか?  布包みを持ち上げると、案の定、中にはダガーが入っていた。デルがいつも身につけているものだが、間近で見るのは初めてだ。銀の飾りのついた黒い鞘《さや》に収まっており、柄《つか》には紋様が刻まれている。かなりの値打ち物のようだ。もしかしたら魔法《まほう》がかかっているのかもしれない。  これでウィーランやゾンビ相手に戦えるとは思わなかったが、まったくの無防備よりはましだろう。サーラはそれを持ってゆくことにした。  壁に掛かっていたランタンを左手で持ち、ドアに忍び足で近づく。耳をすませて外の様子をうかがうが、人の気配《けはい》はしない。幸い、鍵は掛かっていなかった。そっとドアを開け、廊下《ろうか》に滑り出た。  その場所には見覚えがあった。さきほどの大広間に行く途中に通った道だ。反対側には、例のドクロの部屋があるはずだ。  通路のずっと奥、大広間の方向には、明かりがゆらいでおり、陰鬱《いんうつ》な詠唱《えいしょう》のような声が低く響いていたく。デルの入信の儀式がはじまっているのだろう。飛びこんで阻止《そし》したかったが、自分にはそんな力がないことはよく分かっていた。すぐに取り押さえられてしまうのは目に見えている。今度は殺されるかもしれない。そうなったら、せっかくのデルの好意を無駄《むだ》にすることになる。悔《くや》しいが、今はがまんするしかない……。  それに、デルは彼女自身の意志でファラリス入信を決意したのだ。力ずくで彼らの手から奪い返しても、本質的な解決にはならない。彼女自身の心を変えさせなくてはならないのだ。  そのためには、どうしても確認しなくてはならないことがあった。  サーラは意を決すると、大広間と反対方向——ドクロのある部屋の方向へ、足音を忍ばせて走り出した。  ドーム状の部屋は死後の世界のように静まりかえっていた。ドクロは先刻とまったく同じに、部屋の中央、魔法陣の中心部に置かれた円筒形の台座の上に、捧《ささ》げ物のように鎮座《ちんざ》している。  サーラは胸の動悸《どうき》を抑えながら、おそるおそる近づいていった。前の時と同じように、ドクロの口がわずかに動き、剥《む》き出しになった歯の間から、苦しげな声が洩《も》れた。 「……やめてくれ……お願いだ……死んでくれ……死んでくれ……」  ドクロの表面から青い光がたちのぼった。見る見る人の姿になってゆく。今度はサーラは逃げなかった。勇気を奮い起こして踏みとどまり、亡霊《ぼうれい》と向かい合う。人の形の光の中に、苦悶《くもん》する男の顔が現われ、少年に向かって手を差し伸べて哀願した。 「……頼む……お願いだ……殺してやってくれ……あの子の……デルの苦しみを終わりにしてやってくれ……」 「バルティスさん……?」サーラの声はかすれていた。「あなたはバルティスさんなんでしょ?」  論理的帰結だった。バルティスは首無しの死体で発見された。何者かが彼の首を持ち去り、どこかに隠したに違いないのだ……。 「そうだ……」亡霊は悲しそうにうなずいた。「君は……君は誰だ?」 「サーラと言います。デルの友達です」 「デル[#「デル」に傍点]!」  バルティスは野獣《やじゅう》のような声で吠《ほ》えた。悲鳴《ひめい》とも怒号《どごう》とも慟哭《どうこく》ともつかない恐ろしい声で、サーラの心臓は縮み上がった。興奮のあまりか、亡霊の青い輪郭は陽炎《かげろう》のようにゆらいでいる。 「やはり! まだ生きていたのか! 何ということだ! あの時なぜ、殺してやれなかったんだ!?」 「どうしてですか?」サーラはおそるおそる訊《たず》ねた。「あなたは�英雄�と呼ばれた人だと聞いています。どうしてそんな人が、自分の娘を……?」 「英雄だと? ふん!」バルティスは自分を嘲笑《あざわら》った。「私は英雄なんかじゃない! 人間の屑《くず》だ! 今やみじめな怨念《おんねん》だけの存在だ! 自分の娘一人、救ってやることができなかったんだ……」 「でも、あなたに殺されそうになったことで、デルは苦しんできたんですよ。この四年間ずっと……」 「四年!?」バルティスは驚きの声をあげた。「あれから四年も経っていたのか!? 知らなかった! この地底の闇《やみ》の中で、時間の経過など分からなかった! 四年間も、あの子は苦しみ続けていたというのか!? ひどい! ひどすぎる! みんな私のせいだ! あの時、ダガーを振り下ろすことをためらいさえしなければ、とどめが刺せていたはずなのに……!」  バルティスは身もだえし、泣いていた。四年も前に死んだ人間と会話し、その苦しむ様《さま》を目にするのは、奇妙な気分だった。 「どうして!? いったい何があったんですか? どうしてデルを殺さなくちゃいけないんです?」 「君には関係ないことだ……」 「関係あります。僕はデルを救いたいんです!」  亡霊はかぶりを振った。「無駄《むだ》だ……君には分かるはずがない。私たち親子の受けた苦しみの深さなど、理解できるはずがない……」 「デルもそう言いました——でも、事情が分からないと、助けようがないでしょ?」 「助けなど欲しくはない……」バルティスは再度かぶりを振った。「何もかも終わったことだ。過去は変えられん。私の願いはただひとつ、一刻も早く、あの子を死なせてやりたいということだ……」 「いったいどうしてなんですか? お願いです! 教えてください! 四年前に何があったかを……」  バルティスはしばらく沈黙した後、苦しそうに語りはじめた。 「あの日、私は連中の誘いにのって、一人で出かけて行った……」 「連中って、デルを誘拐《ゆうかい》した四人組ですね?」 「そうだ……奴《やつ》らはデルを人質《ひとじち》に取り、私を脅《おど》した。私は従うしかなかった。連中は私を縛り上げ、これまでの恨《うら》みをこめて、さんざんに痛めつけた……だが、そんなことは問題ではないのだ。肉体の痛みなどいくらでも耐えられる……死も恐れなかった。娘さえ無事ならば、自分の命など惜しくはないと思っていた。しかし……」  バルティスの言葉は途切《とぎ》れた。 「どうしたんです?」 「……連中は卑劣《ひれつ》だった!」バ〜ティスは吐き捨てるように言った。「私を拷問《ごうもん》にかけるだけでは飽きたらなかった! 私を徹底的に痛めつけ、嘲笑い、地獄の苦しみに突き落とそうとした! そのためにデルを利用したんだ!」 「デルを?」 「そうだ……!」バルティスの声はすでに悲鳴に近かった。「何をしたと思う!? 想像できまい! 奴らは人間が思いつく中で最もおぞましく、卑劣なことをやったんだ! 聞きたいか? そんな恐ろしいことを聞きたいかね?」 「聞きたいです」サーラの声は恐ろしい予感に震えていた。「いったい何があったんですか?」  バルティスは大笑いした。泣きながら笑っていた。荒れ狂う感情があまりにも激しく、もはや正気を保てなくなったのだ。 「教えてやろう! 連中はデルを裸《はだか》にした! そして、悲鳴をあげるあの子を、四人がかりでもてあそんだんだ! 縛り上げられ、身動きできない私の目の前でな!」 [#改ページ]    8 よみがえる英雄  サーラはひどいショックを受け、言葉もでなかった。デルの過去には何か悲劇があったに違いないと思っていたが、そんなおぞましいことだったとは……。 「八歳だぞ! まだ八歳の子供だったんだぞ!?」  バルティスの亡霊《ぼうれい》は泣きながらわめき続けている。 「あの光景が忘れられるものか! あの子は泣き叫《さけ》んでいた。『お父さん、助けて』『お父さん、助けて』……何十回、何百回、叫んだことか……だが、私はどうにもできなかった! 縛られ、痛めつけられて、身動きできなかったんだ! 目を閉じても無駄《むだ》だった。助けを求めるあの子の叫びが、頭の中に鐘のように響き渡っていた! 私は奴《やつ》らに泣いて頼んだ。『お願いだからやめてくれ、何でもする』『私の命が欲しいなら、早く殺せ』と……だが、奴らは笑って聞き入れなかった。私たち親子が苦しむのを見て、楽しんでいたんだ……!」  サーラの頭の中は空白だった。衝撃のあまりの大きさに、感情が麻痺《まひ》していた。その場に茫然《ぼうぜん》と立ち尽くし、大きな部屋いっぱいに響き渡る、狂った亡霊の言葉を聞いていることしかできなかった。 「永遠のように長い時間だった。奴らが飽きるまで、それは続いた……それから連中は、私の縄を切って、私のダガーを返してよこした。傷だらけで、魂《たましい》まで打ちのめされた私には、もう抵抗する気力は残っていなかった。奴らは笑いながらこう言った。『お前の手で娘を楽にしてやれ、バルティス』……」  バルティスの泣き声は、号泣《ごうきゅう》からすすり泣きに変わっていた。 「あの子は床《ゆか》に横たわっていた……うつろな目で天井《てんじょう》を見上げていた……血を流し、死にかけていた……それでもあの子はつぶやき続けていた。『お父さん、助けて』……私は残った力を振り絞って、あの子の傍《そば》に這《は》い寄ってゆき、ダガーを振り上げた。あの子の苦しみを終わらせる方法は、他になかったからだ……」 「それで……?」サーラはようやく声が出せた。「それで、どうしたの?」 「ダガーを振り下ろせば、それで決着がつくはずだった。この手で娘を殺し、すぐに自分も死のうと思っていた……だが、振り下ろすのが遅すぎた。最後の瞬間になって、連中が踏みこんできたんだ」 「連中?」 「ジェノアの部下たちだ。裏切者を処刑《しょけい》するために送りこまれた連中だ。彼らはたちまち四人を殺し、死体を運び去った……暗黒司祭《あんこくしさい》らしい男が、私の手からデルを取り上げ、魔法《まほう》で傷を治療した。私はそいつにすがりついて嘆願《たんがん》した。『お願いだから、その子を殺してくれ。苦しみを終わらせてやってくれ』……だが、聞き入れられなかった。連中は私の首を切り落とし、私は死んだ……。  だが、私の魂はこの世を離れることはできなかった。デルを死なせそこねた、苦しみから解放してやることができなかったという未練が、あまりにも強すぎたからだ。切り落とされた首だけになっても、私はつぶやき続けた。『殺してやってくれ……あの子を殺してやってくれ』と……。さすがに気味悪くなったんだろう。連中は私をこの古代王国の遺跡に運んで来て、魔法陣の中に封じこめてしまった。私の精神力は強く、普通の手段では消滅させることができなかったからだ。それ以来、私はこの地下の暗闇《くらやみ》の中で、同じ言葉をつぶやき続けているのだ——殺してやってくれ……あの子を死なせてやってくれと……」 「やめて!」呪縛《じゅばく》から解放され、サーラは叫んだ。「やめて! そんなこと言っちゃだめだ! あなたはデルのお父さんじゃないか!」 「父だからこそ、そう願うのだ。娘の苦しみを終わらせてやりたいんだ……」 「そんなの、おかしいよ!」 「いや、これが正しいのだ。このままでは、あの子はあの地獄の苦しみの記憶を背負ったまま、生き続けてゆかねばならない。私は解放してやりたいのだ。あの子もきっとそれを望んでいる……」 「違う!」サーラは強くかぶりを振った。「間違《まちが》ってるよ! デルはそんなこと望んでなんかいない!」 「何だと?」 「だってそうでしょ? 彼女は四年間も生き続けてきたんだよ! もし死にたいと思っていたなら、とっくに死んでるはずじゃないか!」 「だが、あの子はずっと苦しみ続けてきた——」 「そう、彼女は苦しんできたよ。ものすごく苦しんできたよ。僕なんかには想像もつかないほど——でも、それはみんなあなたのせいなんだ、バルティスさん!」  バルティスは動揺した。「私のせい……!?」 「そうだよ。思い出してみて。彼女がひと言でも、あなたに『生きていたくない』って言った? 『殺して』って頼んだ?」 「それは……」 「そうでしょ? 彼女は生きていたかったんだ。どんなに苦しくても、殺して欲しくなんかなかったんだ。彼女、僕に言ったよ。『どんな苦しい目に遭《あ》っても、死ぬよりはまし』だって……分かる? それが彼女の気持ちだったんだよ! それなのに、あなたはそれを踏みにじったんだ!」 「だ……黙れ!」バルティスはひどくうろたえ、怒鳴《どな》りちらした。「お前みたいな子供に何が分かる!」 「分かるよ!」サーラは怒鳴り返した。「子供だから[#「子供だから」に傍点]分かるよ! デルの気持ちがよく分かるよ!」 「何……?」 「彼女はあなたに『助けて、お父さん』って言ったんでしょ? 最後の最後まで、『助けて』って言ってたんでしょ? それが彼女の本心だったんだよ! どんなに苦しくても、最後にはきっと父親が助けてくれる——そう信じてたんだよ。あなたを心から頼りにしてたから、苦しみに耐えてたんだよ!」  怒鳴っているうち、とめどなく涙が出てきた。悔《くや》しさの涙、怒りの涙、悲しみの涙——こんなに激しく泣いたことはなかった。これまで生きてきて、こんなにも激しい感情の高ぶりを経験したことはなかった。 「それをあなたは裏切ったんだ! 彼女を抱きしめて『だいじょうぶだ、しっかりしろ』って言ってあげれば良かったのに、そうしてあげなかった! それどころか殺そうとしたんだ! デルがかわいそうだよ! この世でいちばん信じていた父親に裏切られて、彼女は何も信じられなくなった! それで心を閉ざしちゃったんだ!」 「違う! 違う! 違う!」バルティスは頭をかかえ、激しくわめいた。「私は——私はあの子のためを思って……!」 「嘘《うそ》だ! あなたは彼女のためなんか思ってない!」 「何だと!?」 「あなたは自分のために[#「自分のために」に傍点]デルを殺そうとしたんだ! 彼女が苦しんでる姿を見たくないから、彼女の声を聞きたくないから、殺そうとしたんだ! 自分が苦しみから逃げるために殺そうとしたんだ! 彼女を苦しみから救いたかったなんて嘘だ! 本当に父親なら、自分の子供が好きなら、そんなことするわけないじゃない!」 「そんな……そんなことが……」バルティスは愕然《がくぜん》となった。「私が……私が自分の心を欺《あざむ》いていたと言うのか? あの子を苦しめていたのは私だと言うのか……?」 「そうだよ。僕に分かるぐらいだもん。デルだってきっと、あなたの本心ぐらい見通してたよ。だからあんなに苦しんでたんだ! 四年間もずっと、誰にも言うことができずに、一人で苦しんでたんだ!」 「あの子が……私も気づかなかった……私の本心を……?」  バルティスの亡霊は、顔を覆《おお》い、子供のようにすすり泣いた。 「何ということだ。あの子を苦しめていたのは私だったのか? みんな私が悪かったというのか……?」 「みんなあなたのせいとは思わないけど……でも、あなたに裏切られなかったら、デルの心の傷はもっと浅かったと思うよ」  言い過ぎただろうか、とサーラは思った。バルティスは宙に浮かび、顔を覆ったまま泣き続けている。  もう恐ろしいとは思わなかった。、怒りと悔しさのありったけをぶちまけたので、憎しみも感じなかった。ただ、この男に対する憐《あわ》れみだけが残った——英雄と呼ばれる人でさえ、こんなにももろいものなのか。人間は耐えがたい苦しみの前では、愛も自尊心もかなぐり捨ててしまうものなのだろうか……? 「……ねえ、バルティスさん。デルを助けてあげて」 「何を今さら……」バルティスはすすり泣きながら言った。「もう手後れだ……私に何をしろというのだ……」 「違うよ。まだ手遅れじゃない。今からでもデルを救えるよ」  バルティスは顔を上げた。「何……何のことだ?」 「彼女はファラリスに入信しようとしてるんだ。あなたに裏切られて、人間がみんな信じられなくなって……そこをジェノアにつけこまれたんだ。ジェノアは彼女を手先にしようとしてるんだよ」 「デルが……ファラリスに……?」 「そうだよ。僕がいくら言ってもだめなんだ。彼女を救えるのはあなたしかいないんだよ。あなたが彼女に謝《あやま》れば……『殺そうとしたのは間違《まちが》いだった。生きてくれ』って言えば、彼女は考え直すと思うんだ」 「本当に?……そんなことで、あの子は私を許してくれるだろうか……?」  バルティスはとまどい、自信が持てない様子だった。デルと顔を合わせることを恐れているのかもしれない。サーラは苛立《いらだ》った。 「他に方法がないじゃないか! あなた以外の誰が、彼女の心を変えることができるって言うの!?」 「しかし、私は……」 「もう儀式ははじまってるんだよ? 何をぐずぐずしてるのさ! それともまた彼女を見殺しにするつもり!?」 「だが、私には自信がない……」 「弱虫! 意気地《いくじ》なし! それでも英雄って呼ばれた人なの!? 自分の娘を二度も見捨てるの!?」  その言葉がバルティスの心を打ったようだった。亡霊の表情から苦悩の色が薄れ、しだいに決意が固まってゆくのを、サーラは見守った。 「分かった。やってみよう——だが、それには君の協力がいる」 「何?」 「見ての通り、今の私は怨念《おんねん》だけの存在だ。自分では歩けないし、石ころひとつ動かすことはできない。このままでは連中と戦うことは不可能だ……デルを助け出すには、君の肉体を借りなくてはならない」 「僕の肉体?」 「そうだ。君の肉体の中に私が入りこむ。君に代わって、しばらく肉体を使わせて欲しいのだ——どうだね?」  その突拍子《とっぴょうし》もない提案は、さすがにサーラをたじろがせた。亡霊が自分の体内に入りこんでくる——想像するだけで生理的|嫌悪感《けんおかん》にかられ、身震いがした。  だが、他に方法がないのなら、やるしかない。これは勇気を試されているのだ、と思った。バルティスを「意気地なし」とののしった後で、意気地のないところを見せるわけにはいかない。 「……分かった」サーラは唾《つば》を飲み、うなずいた。「やっていいよ」 「言っておくが、危険だぞ。生前は戦いに自信があったが、君の肉体をうまく使いこなせるかどうか分からない。私が負ければ、もちろん君も死ぬ。運命を共にするんだ。覚悟はできてるだろうね?」 「できてるよ」サーラは再度、強くうなずいた。「僕はバルティスさんを信じる——どうすればいいの?」 「まず、この封印《ふういん》の魔法陣を壊《こわ》してくれ。その杖《つえ》を抜くだけでいいはずだ」  サーラは指示に従った。杖は床の穴に差しこまれているだけで、強く引っ張れば簡単に抜けた。ドクロを取り囲んでいた五本の杖をすべて引き抜き、部屋の隅に投げ捨てる。 「よし、いいぞ。封印は消えた——こっちに来たまえ」  サーラはおそるおそる魔法陣の中に足を踏み入れた。何も起こらない。バルティスは青く光る霊体の手を、眼下の少年に向けて差し伸べた。サーラは勇気を奮《ふる》い起こして、手を高く伸ばし、霊体に触れた。  バルティスの姿がぼやけ、青い煙のようになった。と同時に、指先を通って冷たいものが体内に入りこんできた。手から腕へ、腕から肩へ、肩から胸へ……水が土に染みこむように、その忌《い》まわしい冷気は少年の細胞のひとつひとつに浸透していった。体温が急降下したように思えて、背筋に悪寒《おかん》が走る。覚悟はしていたものの、そのおぞましい感覚は筆舌《ひつぜつ》に尽くしがたいものだった。  空中に浮かぶ青い燐光《りんこう》は急速に縮み、時間を逆回転させたかのように、少年の体内に吸いこまれていった。冷たく形のない霊体は、骨盤を通過して脚の骨に沿って流れ落ちる一方、咽喉《のど》を這《は》い上がって頭を満たしていった。水に溺《おぼ》れるような不快な感覚に耐えきれず、思わず「ああ……」という泣きそうな声が洩《も》れた。霊体が脳に達すると、冷気が思考をも侵蝕《しんしょく》し、頭がぼうっとなった。  ほどなく霊体は完全に少年の体内に吸収された。裸足《はだし》のつま先から、金髪の一本一本にいたるまで、不快な冷気にびっしりと満たされた。実際に体温が下がったのか、唇《くちびる》がひどく蒼《あお》ざめていた。  意識していないのに手がゆっくり動き、顔の前にやってきた。サーラは分厚いガラスを通して見ているような感じで、白くほっそりした手をぼんやりと見つめた。確かに自分の手だし、感覚もちゃんとあるのに、自分の手だという感じがしない。視覚も聴覚も鈍《にぶ》らされていて、夢の中の出来事のように現実感がなかった。 「温かいな……」唇が勝手に動き、自分の意志で放ない言葉が流れ出た。「……そうだ、生きているとはこういう感覚だったのだ。すっかり忘れていた……」 (バルティスさん!)サーラは声にならない叫《さけ》びをあげた。 (どうしたね、サーラ?)  二人は声を出さずに会話していた。今や二人は同一の存在であり、意識も重なり合っていたからだ。 (気持ちが悪いよ……これが�死�なの?) (そうだ。冷たく、忌まわしく、救いのないものだ……デルを助け出すまで、少しの間だけがまんしてくれ) (うん……)  バルティスはサーラの手を動かし、鞘《さや》からダガーを引き抜いた。不思議そうにまじまじと見つめる。 (これは……私のダガーだ) (デルが持ってたんだよ。いつも持ち歩いてる) (あの子を殺そうとしたダガーなのに……なぜだ?) (さあ、分かんないな……使えそう?) (手が小さいので少し勝手が違うが……何とかなるだろう)  調子を見るために軽く振り回してみる。サーラはその流麗《りゅうれい》な手つきに感嘆《かんたん》した。アルドのダガーさばきも素晴《すば》らしかったが、バルティスのそれはさらに数段上だった。ミノタウロスを一人で倒したという話もうなずける。自分の手がこんなにも器用にダガーを扱っているのを見るのは、信じられない思いだ。 (ふむ。どうにか勘《かん》が取り戻せそうだ) (……これ、ひょっとしてデルにいつも見せていたの?) (ああ。あの子は私のダガーさばきを見るのが好きだった……) (それで分かったよ。彼女がこのダガーを大事に持っていたわけ。やさしかったお父さんの思い出を大事にしたかったんじゃない?) (かもしれん……)  バルティスはさらに手足を曲げたり伸ばしたりして、新しい体の使い心地を確認した。 (いい体だな。素質はある) (ジェノアもそう言ってた)  バルティスは驚いた。(ジェノア! 奴《やつ》が来てるのか?) (今はいないと思う。用事があって出てったみたいだから) (その方がいい.。今は奴と顔を合わせたくない——デルはどこだ?) (あっち)  指差す必要はなかった。頭の中におおよその方角を思い浮かべるだけで、バルティスに伝わるのだ。 (急いで。儀式が終わっちゃう) 「分かってる。あの子は必ず助ける」  口に出してそう言うと、バルティスはサーラの体を操《あやつ》り、しっかりした足取りで、大広間の方向へ走り出した。 [#改ページ]    9 最後の衝撃  入信の儀式は佳境《かきょう》を迎えていた。  広間の中央にしつらえられた祭壇には、生贅《いけにえ》にされた山羊《やぎ》が横たわっていた。切り裂かれた腹から流れ出た膨大《ぼうだい》な量の血が、祭壇に彫られた溝《みぞ》を通って、大きな桶《おけ》に流れこんでいる。ウィーランはその前に立ち、両腕を高く掲げて、ファラリスへの祈りの句を唱《とな》えていた。 「……大いなる世界の真理、巨人の右手より生まれし偉大なるファラリスよ。今またここに一人、あなたの御心《みこころ》に従う者が参りました。おのれの意志と欲望のままに生き、魂《たましい》の自由を奪うあらゆる束縛からの究極の解放を目指《めざ》す者です。あなたの真理の言葉に共鳴し、あなたの素晴《すば》らしき教えを実行し、あなたの大いなる御名《みな》を広めようとするこの者に、どうぞあなたの援助をお与えください……」  黒いマントをはおったデルは、目を閉じ、胸に手を置いて、ウィーランの後ろにおとなしくひざまずいていた。その横顔には何の表情も浮かんでいない。何かを考えこんでいるのだろうか。それとも、あきらめの極致に達した者は、感情を外に表わすことさえないのだろうか。  儀式の参列者と呼べるのは、彼女の両側に立っている四体のゾンビだけだった。入口を守っていたやつだろう。手には棍棒《こんぼう》の代わりにたいまつを掲げ、デルの入信を祝福しているように見える。生なき者たちに取り囲まれ、大広間の中央で孤立無援《こりつむえん》の少女は、あまりにも小さく見えた。  祈りを唱え終えたウィーランは、おもむろにデルの方に向き直ると、骨ばった手を彼女の小さな頭に置いて訊《たず》ねた。 「デル・シータよ。汝《なんじ》に問う。これよりお前の崇拝する神は何か?」 「ファ……」デルは少し詰まった。「ファラリスです……」 「ファラリスの教えとは何か?」 「自由です……」 「ファラリス以外の神の教えには従わぬか?」 「従いません」 「この世の法律には従わぬか?」 「従いません」 「道徳には従わぬか?」 「従いません」 「義理には従わぬか?」 「従いません」 「なら、何に従う?」  デルはためらいながらも、震える唇《くちびる》から、どうにか最後の言葉を吐き出した。 「おのれの欲望……」 「よろしい」  ウィーランは満足そうに言うと、いったん彼女から手を離し、一歩退いた。 「偉大なるファラリスは、お前の入信を喜んでくださるだろう——さあ、その身のすべてをファラリスの前にさらし、祝福を受けるがいい」  言われるままに、デルはのろのろとした動作で、マントの紐《ひも》をほどいた。黒いマントがみずからの重みでするりと床《ゆか》に滑《すべ》り落ちると、闇《やみ》が吹き払われて光が差したかのように、白い肌があらわになった。今や少女は生まれたままの姿で、邪悪《じゃあく》な司祭と忌《い》まわしい祭壇の前にひざまずいていた。  ウィーランは祭壇に置かれていた金属製のひしゃくを手に取ると、桶の中の山羊の血をすくい上げた。デルはうつむいたまま彫像《ちょうぞう》のように身動きせず、最後の瞬間をおとなしく待ち受けていた。まだ温かい真っ赤な血をなみなみと満たしたひしゃくが、ゆっくりと少女の頭上に近づいてゆく。それが傾けられ、少女の肌に注がれようとした時—— 「デル!」  ほとんど悲鳴《ひめい》に近い少年の声が、大広間の天井《てんじょう》に反響した。はっとして振り返ると、サーラがバルコニーから飛び降りるところだった。猫のように軽々と床に着地し、彼女の方に全力で走ってくる。  デルは絶叫《ぜっきょう》した。「来ちゃだめ!」 「愚《おろ》かな!」  ウィーランはせせら笑い、すばやく暗黒魔法《あんこくまはう》を唱えた。目に見えない衝撃波がほとばしり、突進してくるサーラの体を直撃した。  サーラはそれに耐えた! 衝撃波は髪の毛をかき乱し、シャツを引き裂き、肌にかすり傷を作ったが、少年の小さな体は少しよろめいただけで、飛ばされもせず、転びもしなかった。すさまじい意志の力で暗黒魔法をはね返したのだ。  最後の数歩を駆けながら、バルティスはサーラの口を借りて叫《さけ》んだ。 「刃《やいば》よ、我に助力を!」  キーワードに反応し、ダガーにこめられた共通語魔法が発動した。ダガーの刃が魔法の輝きを帯びる。  ウィーランはとっさにひしゃくの中の血をぶちまけ、少年に目潰《めつぶ》しをくらわそうとした。少年はひょいと腰を落としてそれをよけると、床《ゆか》を蹴《け》り、ウィーランの腹に肩からぶつかっていった。  少年の意外な行動に驚いたのと、ぎくしゃくとしか動けないゾンビの肉体に隠れていることが災《わざわ》いし、ウィーランは体当たりをまともに受ける形になった。少年の軽い体重も、突進の勢いがたくわえられているので、充分な打撃力がある。全身の筋肉をバネに変えて突き出されたダガーが、深々とゾンビの胸に突き刺さった。ゾンビの腐りかけた膝《ひざ》はその衝撃に耐えきれず、派手《はで》にひっくり返った。手にしたひしゃくが吹っ飛び、からからと音を立てて床を滑《すべ》る。  二人はもつれ合って床に転がった。少年はゾンビに馬乗りになり、胸に刺さったダガーを引き抜くと、今度は横に斬《き》りつけた。白い魔法の刃が一閃《いっせん》し、灰色のローブが裂けた。あらわになった肋骨《ろっこつ》の隙間《すきま》から、ジャック・オー・ランタンの真っ赤に燃える目が、驚いた様子で少年の顔を見上げている。 「こ……こいつを殺せ!」  ウィーランが混乱した口調で叫んだ。少年は一瞬の動作でダガーを逆手に持ち替え、ゾンビの胸に突き立てた。ダガーは肋骨の隙間を正確に貫通し、ザクリという気味悪い音を立てて、ジャック・オー・ランタンの目の端に深く突き刺さった。ウィーランが恐ろしい悲鳴《ひめい》をあげる。  再び衝撃波がサーラの体を襲った。今度は真下から胸を強打され、息が詰まった。ハンマーで殴《なぐ》られたような衝撃だ。普通の少年なら、その一撃で肺が潰れ、死んでいただろう。しかし、バルティスの強靭《きょうじん》な意志力は、今度もそれに耐えた。 (負けるものか……!)  苦痛のあまり体がしびれ、目がかすんだが、それでもバルティスは果敢《かかん》にダガーを振り下ろした。だが今度の攻撃ははずれ、ジャック・オー・ランタンのごつごつした表皮に、浅い傷を負わせただけにとどまった。 「サーラ、危ない!」  デルが警告した。ウィーランの命令を受けた四体のゾンビが近寄ってきて、手にしたたいまつで四方から殴りかかってきたのだ。少年はウィーランから飛び離れ、床に転がってその攻撃をかわした。  ゾンビの一体は、誤ってたいまつでウィーランを殴ってしまった。たいまつの炎《ほのお》がローブに触れると、乾いた古い布地はたちまち燃えはじめた。  ゾンビたちは機械的な動きで少年を追い回し、攻撃してきたが、その動作はあまりにのろく、バルティスの憑依《ひょうい》した今のサーラの敏捷《びんしょう》な動きでは、かわすのは造作《ぞうさ》もないことだった。一体の振り下ろしたたいまつが腕をかすめ、軽い火傷《やけど》を作ったぐらいだ。だが、彼らが壁となって、ウィーランに近づけない。 「サーラ!」  デルは床に転がったひしゃくを拾い上げ、背後からゾンビたちに殴りかかった。しかし、たいした傷は与えられない。ゾンビたちは彼女にはまるで無頓着《むとんちゃく》に、少年への攻撃を続けている。  ウィーランの本体は、燃えるゾンビの胸を破って、ふらふらと空中に浮き上がった。治癒《ちゆ》の呪文《じゅもん》を唱《とな》え、自分の傷を治す。  視野の隅にその光景をとらえたサーラが、心の中で叫びをあげた。(バルティスさん、あいつが!) (分かっている!)  ようやくゾンビたちの包囲をかいくぐった少年は、空中に浮かぶカボチャ形のアンデッドに飛びかかり、斬りつけた。今度こそ、ダガーはウィーランの目に深く突き刺さった。えぐりながら引き抜くと、暗緑色の気味悪い液体がほとばしる。  更に一撃を加えようとした時、またもゾンビたちが背後から襲いかかってきたので、それをかわさなくてはならなかった。その隙《すき》にウィーランは上昇し、少年の背の届かないところに行ってしまった。四体のゾンビの攻撃をかわすのに懸命だったせいで、一瞬、バルティスの心に隙が生まれた。その瞬間を狙《ねら》って、ウィーランは高所からまたも衝撃波を放った。  激痛! 雷《かみなり》に打たれたような衝撃が全身を駆け抜けた。一瞬、少年は発作《ほっさ》に襲われたかのように、体を激しく震わせた。全身いたるところで、皮膚が泡のようにはじけ、血が飛び散る。デルが悲鳴《ひめい》をあげた。  バルティスは衝撃で失神《しっしん》した。肉体を共有していたサーラもまた、デルの悲鳴を聞きながら、意識が遠のいてゆくのを感じた。 (だめだ、このままじゃ……)  懸命に踏みとどまろうとするが、闇《やみ》は急速に迫ってくる。  自分の体重が支えきれなくなり、少年はがくりと膝をついた。全身から血を流し、死は目前に迫っていた。四体のゾンビがそれを取り囲み、燃えるたいまつをいっせいに振り下ろそうとしていた……。  その時、サーラを正気に返らせたのは、デルの思いがけない叫びだった。 「偉大なるファラリスよ、サーラに加護をっ!!」 「何っ!?」  ウィーランが狼狽《ろうばい》する。だが、その祈りは確実に効果を現わした。少年の全身の傷がたちまちふさがってゆく。それと同時に痛みも消え、薄れかけていた意識がはっきりしてきた。まだぼんやりしている視野の隅に、迫ってくるゾンビたちの足が映った。たいまつが頭上で振り上げられる気配がする。 (バルティスさん、しっかり!)  サーラは叱咤《しった》した。バルティスも意識を取り戻す。とっさに床に転がり、間一髪《かんいっぱつ》でゾンビたちの攻撃をかわす。 「なぜだ!? なぜファラリスが!」  ウィーランは完全に混乱していた。ファラリスの力がデルの祈りに応《こた》え、少年の傷を治癒《ちゆ》したことは分かる。しかし、なぜファラリスがこの少年を加護するのか……?  その間にバルティスは完全に意識を回復していた。体勢を立て直し、すかさず周囲の状況《じょうきょう》を把握《はあく》する。ジャック・オー・ランタンは生贅《いけにえ》の祭壇の向こう、少年の背丈の倍の高さのところに、ふわふわと浮かんでいた。今だ! 膝をついた姿勢から、飛び跳《は》ねるように走り出す。  少年の行動は、またもウィーランの予測を超えたものだった。生贅の祭壇に飛び乗り、それを足掛かりに、空中高く跳躍《ちょうやく》したのだ。 「でやあっ!」  気合いとともに、ぽっかりと開いたウィーランの口に、ダガーが強くねじこまれた。何かが潰《つぶ》れるような気味悪い音がして、少年の手首までジャック・オー・ランタンの口にめりこんだ。貫通したダガーの先端が反対側から突き出す。落下しながら手首をひねり、自分の体重を利用して、肉を大きくえぐりながら引き抜いた。  少年はすたっと着地した。浮遊力を失ったウィーランは鈍《にぶ》い音を立てて床にぶつかり、本物のカボチャのように転がった。それを追いかけ、抱きついて、ダガーを突き立ててとどめを刺す。  ウィーランはゴボゴボという音を立て、少年の体の下で何度か身震いしたかと思うと、動かなくなった。目の奥で燃えていた赤い光が消えた。大きく開いた口や目から、内臓とも腐った果肉ともつかぬ不気味なものが、どろどろと流れ出す。おそらく数百年を生きてきた邪悪《じゃあく》なアンデッドの、それが最期《さいご》だった。  だが、ゾンビたちはまだ動き続けていた。創造者が滅びたことなど、彼らには理解できない。最後に受けた命令を完遂《かんすい》するまで動き続けるのだ。  少年はまたもその攻撃をかいくぐると、床に落ちていた黒いマントを拾い上げ、デルに放り投げた。 「逃げるぞ、デル!」  だが、デルはマントを持ったまま、茫然《ぼうぜん》と立ちすくんでいる。状況の急変がまだ理解できないのだ。サーラがこの大広間に飛びこんできてから、現実の時間では、まだ二分と経《た》っていない。  少年は迫ってきた一体のゾンビの腕を斬《き》り落とした。まだ手首がついたままのたいまつを、ためらうことなく拾い上げる。通路を走るには明かりが必要だ。 「来い!」  そう怒鳴《どな》ると、少年はダガーを口にくわえ、空《あ》いた右手でデルの手を取って、強引《ごういん》に出口の方向に引っ張った。少女はようやく我に返り、マントを肩からはおると、並んで走りはじめた。ゾンビたちはよたよたした足取りでそれを追った……。  出口に続く通路は長かった。ゾンビの追ってくる速さは二人の半分ほどで、たちまち引き離すことができた。このままなら楽に彼らを振り切り、脱出できる……。  だが、出口まであと少しというところで、ジェノアに出くわした。  二人はびっくりして立ちすくんだ。ジェノアはまるでただの通行人のように、通路の角からひょいと出てきたのだ。どこかにある別の出入口から戻ってきたのだろう。思いがけない障害の出現に、二人はおののきを隠せなかった。  ジェノアの方でも、サーラの壮絶《そうぜつ》な姿を見て、ほんの少したじろいだ様子だった——少年は全身傷だらけで、手足や顔は血でまだらに染まっていた。シャツにはウィーランの死体から流れ出た汚物《おぶつ》がべっと。こびりついている。美しい金髪も埃《ほこり》と血でまみれ、その下から覗く目は、子供のものとは思えない鋭い眼光でジェノアをにらみつけていた。口には殺戮《さつりく》で汚れたダガーをくわえ、左手にはゾンビの手がくっついたままのたいまつを持ち、右手はおびえる少女の手を握りしめている。激しい戦闘を終えた後なので、呼吸は乱れていた。  少年はデルの手を振りほどくと、口にくわえていたダガーを持ち直して、すばやく威嚇《いかく》の体勢を取った。 「そこをどけ、ジェノア! ジャック・オー・ランタンは死んだ! 娘はもうお前のものにはならん! お前の計画は潰《つぶ》れたぞ!」  その毅然《きぜん》とした語調がサーラ本来のものではないことを、ジェノアは敏感《びんかん》に察知した。 「バルティス?……バルティスなのか?」  デルはびっくりして少年の横顔を見つめた。 「お父さん……?」 「そうだ」バルティスはサーラの声で言った。「この少年の肉体に憑依《ひょうい》している。お前を助けに来たんだ」  そう言いながらも、少年の視線は油断なくジェノアに向けられたままだ。亡霊を前にしているのに、ジェノアはさして動じる様子はなく、値踏みするように少年の姿を上から下まで眺《なが》めている。 「どうやら本当らしいな」彼は顔色も変えずに言った。「私としたことが、大きなミスだ。もっと早くお前を滅ぼしておくべきだった——どうやって魔法陣から逃げ出した?」 「この少年の働きだ。私は彼に助けられた」 「ほう」ジェノアは感心した。「それはそれは……私の目に狂いはなかったわけだ。たいした行動力だな」 「そうだな——さあ、戦うつもりならダガーを抜け。それともこちらから行こうか?」  少年はダガーをちらつかせて挑発《ちょうはつ》した。ジェノアがいっこうに動じないので、少し苛立《いらだ》っていた。こんなところでぐずぐずしていられない。後ろからゾンビが追いついてきて、いっそう不利になってしまう……。 「四年も死んでいたにしては威勢がいいな」ジェノアは笑った。「しかし、見え透いたはったりはやめておけ。確かに生前のお前なら、私といい勝負ができたかもしれん。だが、その肉体で勝てるかな? 七分三分……いや八分二分でも怪《あや》しいぞ」 「確かにな——だが、二分でも勝てる可能性があるなら、私は戦う」バルティスはきっぱりと言った。「降伏したところで、娘もこの少年も助からん。それなら、二分の可能性に賭《か》けて、全力を尽くしてお前と戦う。それしか二人を救う道はないし、負けてもともとだからな——さあ、どうする?」  挑戦されたジェノアは、ちょっと考えてから、微笑《ほほえ》んでかぶりを振った。 「いや、やめておこう……私は九分以上の勝ち目がないかぎり、賭けはしない主義だ。負ける確率が二分では、命を賭ける気にはなれん。ましてや、勝ったところで得るものが何もないのではな」 「負けを認めるか?」 「ああ、この局面ではな。たいして惜《お》しくはない。別の局面で勝てばいいだけだ」  そう言いながら、ジェノアは壁際に一歩退き、二人に道を開けた。二人は用心深く距離を保ちながら、彼の横を通り過ぎていった。 「……それに」ジェノアはふと思いついたように言った。「その少年の肉体を滅ぼすのは、いかにも惜しい。いずれ私のものにしたいからな」 「この少年は渡さん!」 「今はな。だが、いつかは私が手に入れる……」  ジェノアの言葉は不敵な確信に満ちていた。バルティスの意識を通してそれを聞いていたサーラは、一瞬、その言葉が運命のように思えて、ぞっとなった。  ゾンビたちが追いかけてくる気配《けはい》がする。駆け去ろうとする直前、少年はふと振り返り、ジェノアに最後の言葉を投げかけた。 「生きている間に、一度お前と戦いたかった……五分五分の条件でな」 「そういうのを感傷と言うんだ」ジェノアは嘲笑《ちょうしょう》した。「私は五分五分の条件では戦わない。必ず自分が九分になるような状況を用意する。それが勝利の原則だ」  少年は答えなかった。まだちらちらと後ろを気にしながら、デルを前に立てて走り去ってゆく。闇《やみ》の中をしだいに小さくなってゆくその後ろ姿を、ジェノアは無言で見送った。敗北したにもかかわらず、その表情はどこか楽しそうだった。 「とこしえの闇よ、我に道を示せ!」  デルがそう呼びかけると、秘密の扉《とびら》が開いた。二人はそこから外の坑道にまろび出た。扉はまたゆっくりと閉まっていった。  ようやく逃げきった、と確信できた。言葉を喋《しゃべ》れないゾンビたちは、この扉を通過できない。ジェノアもあの様子では追って来ないだろう。安堵《あんど》のあまり、二人は岩の床にへなへなと座りこんだ。呼吸が乱れていて、しばらくは声も出せない。 「お父さん……」やがてデルはつぶやいた。「本当にお父さんなの……?」 「ああ、そうだ……」  サーラの唇《くちびる》がその言葉に合わせて動いた。と同時に、その全身がぼんやりと青く光りはじめた。人の形をした青い光は、座りこんでいる少年の体を離れて、ゆっくりと浮き上がっていった。その中にバルティスの顔が現われた。  霊体が抜け出すと、サーラは大きな脱力感に襲われた。本来の自分に戻っただけなのだが、バルティスが憑依《ひょうい》していた間の超人的な身軽さが失われ、急に体重が増えたような気がした。  デルはぽかんとした顔で父の亡霊《ぼうれい》を見上げていたが、真実が確信されてくるにつれ、その仮面のような表情が崩《くず》れてきた。喜びと動揺と悲しみの入り交《ま》じった、今にも泣き出しそうな顔になる。 「お父さん……」 「すまなかった、デル……」バルティスの霊は言った。「お前を殺そうとしたのは間違《まちが》いだった。許しておくれ。その償《つぐな》いをするために戻ってきた。今度こそ、お前を助けるために……」 「だめ……遅すぎる」デルは悲しそうかぶりを振った。「見たでしょう? 私はファラリスの力が使える……もうファラリスに魂を捧げてしまったのよ」 「卑下《ひげ》することはないよ、デル」バルティスはやさしく言い聞かせた。「たとえファラリスの司祭になっても、私はお前を嫌ったりはしない」 「でも……!」 「ファラリスは必ずしも邪悪《じゃあく》な神ではない。人間に欲望のままに生きよと教えているだけだ。ファラリスの信仰を邪悪なものにしているのは、人間が邪悪だからだ。醜《みにく》い欲望を満たすために、暗黒神の力を利用しようとするからだ。だが、欲望はみな醜いとはかぎらない。美しい欲望もある——あの瞬間、お前は心からサーラを救いたいと願った。それがお前の唯一の純粋な欲望だった。だからこそファラリスはお前の祈りを聞き届けたのだ。これから先もお前が美しい心を持ち続けるなら、決して悪の力に染まったりはしない……」  デルはまたかぶりを振った。「そんな……自信がない」 「自信を持つんだ。お前ならできる……四年前のあの日、お前は最後の最後まで私を信じ続けてくれた。私の意志はくじけたのに、お前は最後までくじけなかった。お前がそんなに強い娘だと気づかなかった私が愚《おろ》かだった……だが、これからは私もお前を信じる。決して見捨てはしない……」  それからバルティスはサーラに向き直った。 「サーラ、どうか娘を支えてやってくれ。君の力が必要なのだ」 「はい……」  サーラは力強くうなずいた。その幼いが決然とした表情を見届けると、バルティスは満足そうにうなずいた。その姿がゆらぎ、薄れはじめる。 「お父さん……!」  デルが悲痛な叫びをあげた。バルティスの姿はすでに人の形ではなくなり、炎《ほのお》のようにゆらめきながら、しだいに消えてゆく。 「もう行かねばならん。私の怨念《おんねん》は晴れた。心残りはない……」 「バルティスさん!」サーラは立ち上がり、去ってゆく霊に向かって叫んだ。「僕……僕はあなたみたいな人になります!」 「それはいかん……私みたいな者になってはいかん……」霊の姿が薄れるにつれ、その声もまた遠ざかり、急速に小さくなってゆく。「誰かみたいな者になってはいかん……君は……君みたいな者になるのだ……」  その言葉が途切《とぎ》れると同時に、霊の光の最後の一片も消えた。この世への未練の消えたバルティスは、遠い世界に去っていったのだ。デルはサーラに抱きつき、肩に頭をもたれさせて、静かに泣きはじめた。まだ傷がすっかり癒《い》えておらず、体のあちこちがずきずき痛むサーラだったが、それでも寄りかかってくる少女を拒《こば》みはしなかった。彼女の心と体を支えてやりたいと思った。泣くために誰かの肩が必要なら、いつでも肩を貸してやりたいと思った……。  突然、それまで慌《あわ》ただしさのために気に留めていなかったことに気がつき、サーラは急にどぎまぎとなった。  少女はマントの下は裸《はだか》だった。その体が今、自分の体に押しつけられているのだ。ちらっと下を見ると、マントがはだけ、女としての成長がはじまったばかりの肢体《したい》が、たいまつの光を浴びて、幻想的なオレンジ色に染まっている。慌てて目をそらしたが、すでに手後れで、その映像はまばゆいばかりの鮮烈さで記憶に焼きついてしまった。  美しかった。「男にとっちゃ、最高に美しい女ってのは、何も着てない女さ」というミスリルの言葉が、不意に実感できた。デルがこんなにもきれいだってことに、どうして今まで気づかなかったんだろう……?  この不思議な温かい感情が、大人たちが�恋�と呼んでいるものだと思い当たった時、サーラは愕然《がくぜん》となった。それは少年にとって、驚きだらけの今日という日の、最後を飾る衝撃だった。 [#改ページ]    10 まだ見ぬ明日へ  翌日、サーラはみんなの前で恥をかくことになった。女の子の格好《かっこう》をしてデルを尾行したものの、あっさりまかれてしまいました、と報告しなくてはならなかったのだ。 「それ見たことか!」ここぞとばかりにダビーたちが揶揄《やゆ》する。「偉そうなこと言ったくせに、お前の実力はその程度かよ!」  悔《くや》しくてたまらなかったが、サーラはその侮辱《ぶじょく》にどうにか耐えた。それはサーラ自身が選んだことでもあった。昨夜、デルをこっそり家に送り届けた後、アルドと相談して、この一件は口外しないことに決めたのだ。それはデルの過去の秘密を守るためであると同時に、この街に起きる混乱を防ぐためでもあった。  ジェノアの勢力が再びザーンに浸透してきている。盗賊《とうぞく》ギルドだけではなく、すでにあらゆる方面に手先が入りこんでいると考えるべきだろう。これはギルドの秘密会議にかけて慎重《しんちょう》に対処すべき重大な問題であり、不用意に公表はできない——というのがアルドの判断だった。  サーラかダビーたちのからかいに耐えることかできたのは、心に秘めた誇りがあったからだ。昨日の出来事を思い出すと、思わず顔がほころびそうになる。お前たち、僕を馬鹿《ばか》にしてるけど、本当の冒険《ぼうけん》なんてしたことないじゃないか。僕はすごい冒険をしてきたんだぞ。地下の迷路《めいろ》にもぐり、英雄バルティスといっしょに、恐ろしい怪物と戦い、悪人の手からきれいな女の子を救い出したんだぞ……。  言ってやりたくてたまらない——だが、言えないのだった。  デルは普段と変わらない無口な少女に戻っていた。昨日のことなどまるでなかったかのように振る舞っている。彼女が昨日までのデルと違っていることに、誰も気がつきはしないだろう。だが、サーラには分かる。以前と比べてひとつだけ変化があるのだ。  サーラと視線を合わせた時、少女は他の誰にも気づかれないよう、そっと微笑《ほほえ》むのだ。  事件から二日目の夜、デインが「月の坂道」亭に姿を見せ、久しぶりに四人の冒険者が顔を合わせることになった。チャ=ザ神殿《しんでん》の司祭長の息子であるデインは、ここのところ神殿での実務や勉強に忙殺《ぼうさつ》され、仲間に会いに来る余裕がなかったのだ。  だが、部屋に集まったデイン、フェニックス、ミスリル、レグの、何となく浮かない顔を見て、何かあったな、とサーラはピンときた。自分を見る視線にどこかよそよそしさが感じられるのだ。大人は子供の直感を甘く見すぎる傾向がある。 「座れよ、サーラ」  最初にミスリルが口を開いた。サーラは勧められるままに椅子《いす》に腰掛けたが、四人に四方から見つめられ、落ち着かない感じがした。 「アルドさんからだいたいの事情は聞いた。すごい活躍だったそうじゃないか。え?」  サーラは無言でうなずいた。言葉に反して、ミスリルの口調はあまり嬉《うれ》しそうではなかった。  アルドにはいきさつは詳《くわ》しく話してある。デルの保護者である以上、秘密にするわけにはいかなかったのだ。巧みな訊問《じんもん》にひっかかり、デルから�耳かき�をどうやって渡されたかまで喋《しゃべ》らされ、顔が真っ赤になった。そして、ミスリルたちがサーラの保護者である以上、アルドがその話をミスリルに伝えるのも、これまた当然であろう。  ただひとつ、デルがすでにファラリスの教えに染まってしまったことだけは、誰にも話さなかった。それはデルと自分だけの秘密にしておきたかったのだ。アルドに無用な心配をかけたくなかった。  それに、いざとなれば彼女は僕が守る、という秘めた自負があった。 「お前がたいした奴だってことは、あらためてよく分かった。あのジェノアと渡り合うはな……」  サーラは苛立った。しらじらしい会話を長く続けたくはなかった。 「ねえ、用件はそんなことじゃないでしょ? 約束の一か月は明日で終わるんだよ」  一か月——それはミスリルに「盗賊ギルドで修行しろ」と言われた期間だった。まったくの素人《しろうと》の子供を冒険に同行させるのは、あまりにも無謀《むぼう》だ。一か月だけ修行して、盗賊としての基礎技術を身につけたら、冒険につれて行ってやる、というのが約束だった。 「ああ、そのことだったな……」デインがわざとらしく相槌《あいづち》を打つ。「もちろん、約束は果たすつもりでいるさ。実はもう、次の仕事は見つけてある。三日後に出発だ」  サーラは身を乗り出した。「また宝探し? どこの洞窟《どうくつ》に行くの?」 「宝のある洞窟が、そんなにあってたまるか」ミスリルは苦笑した。「今回は安全な仕事だ。ただの隊商の護衛《ごえい》だ」 「なあんだ……」 「冒険者って言ったって、たいていの仕事はそんなもんさ。そんなにいつも危険な仕事ばっかりやってたら、命がいくつあっても足りん」 「それは分かってるけど……」  退屈《たいくつ》な仕事になりそうなので、サーラはちょっと残念だった。 「だがな、サーラ……」とデイン。「お前をつれて行く前に、ひとつだけどうしても確認しておきたいことがあるんだ」 「何?」 「お前が本当に冒険者になりたいかどうかだ」  サーラは興奮して腰を浮かせた。「もちろんだよ! 僕は——」 「まあ、待て」デインはやさしくさえぎった。「最後まで聞いてくれ。そのうえで、もう一度よく考えて、答えて欲しいんだ」  一見穏やかなデインの態度に、ただならないものを感じ、サーラは椅子に座り直した。彼は何かとてつもなく重大なことを話そうとしている……。 「いいよ。何?」 「実はアルドさんが俺に相談してきた」とミスリル。「お前から詳《くわ》しい話を聞かされたんだが、どうしても一箇所、腑《ふ》に落ちない点があるって言ってな。話を聞いたものの、俺にもよく分からない。それで今日、デインに相談に行った——」 「僕たちは話し合った」とデイン。「そして、ひとつの結論に達した。これしか考えられないっていう結論だ。それで、レグたちにもそれを話した……」 「……四人で話し合ったのよ」フェニックスが何となく言いにくそうに言う。「でも、意見がまとまらなかったの。結局、これはあなたの問題なんだから、あなた自身に決めさせようってことになったの……」 「あたしもそう思う」いつも陽気なレグも、今日は深刻な口調だ。「自分の運命は自分で決めるべきだよな……」  歯切れの悪い話が続くので、サーラはいらいらしてきた。 「何なのさ!? どういうこと? みんな変だよ! いつものみんなじゃないよ。言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいじゃない!」  四人は互いに顔を見合わせ、一様にうつむいて黙りこんだ。誰がサーラに凶報《きょうほう》を告げるのか、無言で譲り合っている様子だ。  その沈黙を破ったのは、デインの大きなため息だった。「そうだな……ぐずぐず先に伸ばしても、何の解決にもならないな」  彼は姿勢を正すと、サーラの顔を真正面から見据え、話しはじめた。 「なあ、サーラ。ジェノアはお前に呪《のろ》いをかけようとしたそうだな?」 「うん。でも、かからなかったよ」 「その後、ジャック・オー・ランタンが同じ呪いをかけようとしたが、やっぱりかからなかった……そうだな?」 「うん」 「なぜだか分かるか?」  サーラは困惑《こんわく》した。「さあ……僕にも分かんないよ。偶然じゃないの?」 「どんな魔法《まほう》でも失敗する可能性はある——だが、二度続けて失敗する可能性はほとんどない。そこには何か理由があるはずだ」 「理由?」 「それについて、俺たちはじっくり話し合った」とミスリル。「そしてひとつの結論が出たんだ……」 「いいか、落ち着いてよく聞くんだぞ、サーラ」  デインは一語一語、噛《か》み締めるように言った。 「呪いがかからなかった理由はただひとつ——お前はすでに呪いにかかってるんだ[#「お前はすでに呪いにかかってるんだ」に傍点]」  サーラは息を飲んだ。しかし、その言葉の意味を正確に理解するには、数秒の時間が必要だった。 「キマイラの!?」 「そう……それしか考えられない」デインは重苦しくうなずいた。  七週間前、サーラの故郷の村の地下にあった巨大洞窟で、彼らは魔獣《まじゅう》キマイラと対決した。傷つき死にかけたキマイラは、サーラを捕らえ、この少年に呪いをかけるぞと彼らを脅《おど》した。彼らはその脅迫《きょうはく》に屈しなかった。キマイラが暗黒魔法の呪文《じゅもん》を唱《とな》えはじめた時、いっせいに攻撃をかけ、息の根を止めたのだ……。 「あの時、俺たちは確かに勝ったと思った」ミスリルが悔しそうに言う「奴《やつ》が呪文を完成させる一瞬早く、とどめを刺せたと思っていた。だが、違っていた……」 「うかつだったよ」デインも自分を責めていた。「あの後、お前の体に何の異常も現われなかったから、すっかり安心していたんだ」 「どんな呪いなのか分からないの?」サーラは懸命に声の震えを隠そうとしていた。 「ああ——あの時、キマイラの喋《しゃべ》る古代語が分かったのは、僕とフェニックスだけなんだが……」  フェニックスは悲しそうに肩をすくめた。「あの時はあなたを助けようと必死だった。自分の呪文に集中してたのよ。すぐに気絶してしまったし……キマイラが確かに呪文を唱えるのは聞いたけど、どんなことを言ったかは覚えてないの」  デインはうなずいた。「考えてみれば、キマイラはあの直前にこう言っていた。『災厄《さいやく》が降りかかってみれば、どんな呪いなのか分かる』……つまり、見かけはまったく分からない呪い、何かのきっかけで発動する呪いに違いない」 「それでジェノアの呪いがかからなかったわけ? もうキマイラの呪いにかかっていたから? 呪いは二ついっぺんにかからないの?」 「そんなことはないと思う……」デインは自信なさそうに言った。「同時に二つの呪いにかかった人間の話なんて、あまり聞かないがな。原理的には、いくつでもかかるはずだ。ただ、二つの呪いの内容が矛盾《むじゅん》していれば、一方がはじかれる」 「ムジュン?」 「互いに相容《あいい》れない種類の呪いだ。たとえば、『一日にパンを二〇個食べろ』という呪いと、『パンを食べるな』という呪いは、同時にはかからない。どちらか強い方が残り、弱い方がはじかれる……お前の場合、キマイラのかけた呪いが強力だったから、それに矛盾するジェノアの呪いをはじき返したんだ」 「でも、ジェノアの呪いと相容れない呪いって、いったいどんなんだ?」レグが疑問を呈した。「ジェノアは『いかなる時でも私の命令に従え』って言ったんだろ? その反対ってのは? 『いかなる時でもジェノアの命令に従うな』? そんな変な呪い、あるわけないだろ!」 「分からない」デインはかぶりを振った。 「ジェノアの呪いの文句のどこか一箇所が、キマイラの呪いの内容に抵触《ていしょく》していたのかもしれない。だが、それが何なのか? いくら考えても分からないんだ……」 「呪いを払う方法はないの?」サーラが訊《たす》ねる。 「高位の司祭ならできるかもしれない。父に頼んでみるつもりだ——だが、あまり期待はできないな。何しろ何百年も生きてきた魔獣が、自分の命を賭《か》けた呪いだ。恐ろしく強力なものだろう。ジャック・オー・ランタンの呪いをはじき返したほどだから、司祭の祈りも利《き》かないかもしれない……何にせよ、どんな呪いなのかさっぱり分からないんじゃ、手の打ちようはない」  体の奥から湧《わ》き上がってきたどす黒い不安を、サーラは隠すことができなかった。この小さな体の中のどこかに、発動する時を待っている強力な呪いが眠っている。それがどんなきっかけで発動するのか、その時に何が起こるのか、誰にも分からないのだ……。 「……それでだ」とデイン。「最初の話に戻ろう。僕たちといっしょに冒険に出るかどうか、お前の態度をもう一度決めてもらいたいんだ」 「え?」  話のつながりが、サーラにはよく理解できなかった。 「つまりね」フェニックスが分かりやすく言い換える。「冒険に出れば、いつか呪いが発動する危倹がある。その時、私たちはあなたを守れないかもしれない……その覚悟はあるかってことなのよ」 「……冒険に出なければ、呪いは発動しない?」 「そうは言いきれないけど……でも、これまで一か月以上も日常生活をしていて、何の支障もなかったでしょ? つまり普通の街で暮しているかぎりは、発動する危険は少ないってことなのよ」 「どうだ、それでも冒険に出ようと思うか?」デインが念を押す。  サーラは迷ったが、それはほんの数秒のことだった。結論は最初から決まっている。彼はきっぱりと言った。 「うん、冒険に出るよ」  その返事があまりに早かったので、フェニックスは不安を抱《いだ》いた。「もう一度よく考えて。いつ呪いが発動するか分からないのよ? 死ぬかもしれないのよ?」 「だって、冒険はもともと危険なものじゃない? そうでしょ?」 「それはそうだけど……」 「それに、普通に暮してたって、呪いが発動しないとはかぎらないんでしょ? 呪いがいつ発動するかびくびくしながら暮すなんて、僕はやだよ。だったら、僕の好きなように生きさせてよ。僕の人生なんだから。ね?」  四人はため息をついた。予想された結論だった。サーラが何か決意したら、容易にはひるがえせないことを、これまでの経験でよく知っていた。 「分かったよ」デインは言った。「出発は三日後だ」 「つれて行ってくれるの?」 「しかたないだろ?」デインは微笑《ほほえ》んだ。「お前の選んだ人生なんだから。な?」  その夜、サーラはなかなか寝つかれなかった。考えることが多すぎたのだ。一昨日の冒険のこと、これからの人生のこと、自分の身にかかっているという呪いのこと、デルのこと……十一歳の少年が背負うには、どれもこれも大きな重荷だった。おまけにいくら考えても結論は出ず、思考は堂々めぐりするばかりだった。大人への扉《とびら》に一歩足を踏み入れたのを感じ、期待と不安、希望と絶望が渦を巻いていた。 「……ねえ、ミスリル、起きてる?」  静寂《せいじゃく》に耐え切れず、隣《となり》のベッドに寝ているミスリルに声をかける。ミススルは暗闇《くらやみ》の中でもぞもぞと体を動かし、眠そうにうなった。 「ん……何だ?」 「ねえ、大人になるってどういうことなんだろ?」 「どういうことって……?」 「僕、すぐにでも大人になりたいんだ。もっと大きく、強くなりたい……でも、大人になるのがこわい気もするんだ。どんなことが起きるのか、自分がどう変わってゆくのか分からなくて——こんな気持ち、分かる?」 「ああ。そんなことを悩むようになったら、大人に近づいたしるしだ」 「そうかなあ……」 「お前、誕生日はいつだ?」 「来月の四日」 「十二歳か……そろそろ大人への階段を昇りはじめたってところだな。これからは気楽じゃいられない。いろんな責任が生じてくるぞ」 「責任?」 「そう……たとえば女の子のことだな」 「女の子?」 「アルドさんから聞いたぞ。お前、デルとキスしたんだって?」  ミスリルはくすくす笑った。暗闇の中で、サーラは顔が火照《ほて》るのを感じた。 「ち、違うよ! あれは僕を助けようとして、彼女が……」 「しかし、それは彼女がお前を好きだったからだろ?」 「うん……」サーラはしぶしぶ認めた。.′ 「お前も彼女が好きか?」 「たぶん……よく分かんないけど」 「だったら、彼女に対する責任が生まれたわけだ。彼女を幸せにする責任、彼女が苦しい時に支えてやる責任、彼女を傷つけない責任……」 「分かってる」サーラは小さい声で、しかしきっぱりと言った。「デルは僕が守ってみせる。バルティスさんに約束したもの」 「よく言った。それが分かってりゃあいい——言っとくが、俺を見習うんじゃないぞ。俺とマローダは失敗した例だ。俺みたいな大人になるなよ」  サーラは不思議そうにつぶやいた。 「バルティスさんも同じこと言ってたな……」 「何?」 「私みたいな者になってはいかん、君みたいな者になれ、って……大人はみんなそう思うのかな?」 「そうだな。大人になるまでには、人はいろんな失敗をする。大人になった時に、みんなそれを悔《くや》む。だから子供には自分みたいになって欲しくないと思う……それが当然じゃないか? 逆に『俺みたいな大人になれ』なんて言う奴《やつ》は、信用できんな」 「でも、他の誰でもない、僕みたいな僕って、いったいどんな僕だろう?」 「俺にそんなのが分かるか。それはお前が自分で決めるんだろうが」 「そうか……そうだよね」 「分かったら、もう寝ろ」 「はあい」  サーラは毛布を口のところまで引っ張り上げ、もぞもぞと答えた。  ほどなく、少年は眠りに落ちた。夢も見ない深い眠りの中でも、刻々と時間だけは過ぎてゆく。目では分からないほどゆっくりとだが、確かに肉体は成長しつつある。心もまた変わってゆく。後戻りはできない。幼く無知だった子供の頃には戻れないのだ。  今この瞬間も、着実に、サーラは大人に近づいているのだった……。 [#改ページ]   あとがき [#地付き]山本弘  大変に遅れてしまいました。『サーラの冒険』第3巻をお届けします。今回の最大の見せ場は、何と言っても�あのお方�の登場でしょう。これまでSWリプレイ集や小説で、ちらっと名前が出てきただけで、実体を見せたことのなかった「西部諸国で最も危険な男」が、ついに姿を現わすのです(西部諸国でいちばん悪い奴はドルコンだと思っていた人、この機会に認識《にんしき》を改めましょう)。  これまでSW小説は短編主流であったため、悪役も一回かぎりの使い捨てで、世界征服を企《たくら》むようなスケールの大きな悪役は、あまりいませんでした。宮廷を舞台にした謀略劇《ぼうりゃくげき》とか、大国同士の戦争とか、世界を滅ぼす大魔王といった、従来のファンタジー小説の定石《じょうせき》をはずし、なるべく小さなスケールで、ごくありきたりの冒険者たちの活躍を扱おうとしてきたせいもあります。  しかし! アレクラスト大陸にも悪の大物はいるのです。彼らが表舞台に出てこないのは、それだけ狡猾《こうかつ》だからです。現実の世界を規ても分かるように、本物の大悪人は高笑いとともに登場したりはしないのです!  僕は�あのお方�を西部諸国最大の悪役キャラとして設定しました。彼は強くて、頭が良くて、冷酷《れいこく》で、美形で、アブナイ趣味(笑)という、理想的な悪役としての要素をすべて備えています。彼はこれからも何度も登場するでしょう。  そんな男を敵に回して、今回のサーラはまさに絶体絶命。おかげで話はどんどん危険な方向(いろんな意味で)に進みます。  さあみんな、や○い本を作りたきゃ作れ!(笑)  今回のあとがきは、「有名人に会っちゃったぞシリーズ第2弾・テアトル池袋の楽屋でかないみかに会って握手《あくしゅ》したぞ(うらやましいか友野!? うわはははは)編」をやろうかとも思ったんだけど、執筆《しっぴつ》が遅れているうちに半年以上前の話になっちゃったうえ、かないさんも結婚されてしまったのでボツ。かないさん、おめでとうございます。  ちなみに、今持ってる『ようこ』の全話ビデオは友人に叩《たた》き売り、LDボックスに買い替える予定です。(だって特典がつくんだ、特典が!)  そうそう、結婚と言えば(しらじらしいなあ)、僕も今年の末に結婚します。  彼女の仕事は病院での老人|介護《かいご》。いわゆる「白衣の天使」です。体力も要《い》るし、夜勤も多くて大変な仕事のはずなのに、とても楽しそうに話してくれるのです。お年寄りが大好きだし、生きがいでやっている仕事なので、結婚しても体が動く限りは続けたい、と言っています。  でも、時には弱音を吐《ま》くこともあります。 「仕事がハードだった日なんか、疲れて帰ってきたとたん、ぐた〜っと床に倒れちゃうことがあるの。そんな姿見たら、山本さん、あたしのこと嫌《きら》いになると思うな。そんな仕事やめろって言うかもしれない」  電話でちょっぴり不安そうにそう言う彼女。その言葉にジーンときてしまった僕は、こう答えました。 「嫌いになんかならないよ。疲れて帰ってきた君をかばってあげたい。仕事をやめろなんて言わない。君ができるだけ長くがんばれるように支えてあげたい」(どひーっ、われながらなんてかっこいい! 自分の言葉に酔《よ》っちゃうぞ)。  この瞬間、今回のタイトルが決まりたした。 『君を守りたい!』  東京のホテルで缶詰《かんづめ》になってこの小説を書いている間、「早く戻《もど》ってきてネ」と書かれた彼女の写真が、机の上で見守ってくれていました。そして、そんな彼女に対する「君を守りたい!」という僕の想《おも》いが、この小説には強く反映されています。 「山本さんの小説の中では『サーラがいちばん好き』と彼女は言います。  だから僕は、今回の執筆の原動力となってくれた彼女に、この小説を捧《ささ》げます。  真奈美、君を守りたい。  (わははは、こりゃ何年も経ってから読み返すと恥ずかしいぞ、きっと!) [#改ページ]    キャラクター・データ サーラ・パル(人間、男、11歳) 器用度《きようど》13(+2) 敏捷《びんしょう》度12(+2) 知力11(+1) 筋力《きんりょく》8(+1) 生命力11(+1) 精神《せいしん》力10(+1) 冒険者《ぼうけんしゃ》技能《ぎのう》 シーフ1 冒険者レベル 1 生命力|抵抗《ていこう》力2 精神力抵抗力2  武器:ダガー(必要筋力4)  攻撃《こうげき》力3 打撃《だげき》力4 追加ダメージ2   盾《たて》:なし          回避《かいひ》力3   鎧《よろい》:クロース(必要筋力1) 防御《ぼうぎょ》力1      ダメージ減少1  言語:(会話)西方語     (読解)なし デイン・ザニミチュア(人間、男、26歳) 器用度15(+2) 敏捷度17(+2) 知力17(+2) 筋力12(+2) 生命力13(+2) 精神力19(+3) 冒険者技能 ファイター3、プリースト3(チャ=ザ)、セージ4 冒険者レベル 4 生命力抵抗力6 精神力抵抗力7  武器:レイピア(必要筋力12)   攻撃力5 打撃力12 追加ダメージ5   盾:バックラー(必要筋力1)  回避力6   鎧:ハード・レザー(必要筋力12)防御力12      ダメージ減少4  魔法《まほう》:神聖《しんせい》魔法(チャ=ザ)3レベル 魔力5  言語:(会話)共通語、西方語、下位古代語、エルフ語、ゴブリン語     (読解)共通語、西方語、下位古代語 フェニックス(ハーフエルフ、女、?歳) 器用度18(+3) 敏捷度20(+3) 知力20(+3) 筋力12(+2) 生命力13(+2) 精神力15(+2) 冒険者技能 ソーサラー4、バード1、セージ2 冒険者レベル 4 生命力抵抗力6 精神力抵抗力6  武器:メイジ・スタッフ(必要筋力10)攻撃力1 打撃力15 追加ダメージ0   盾:なし             回避力0   鎧:ソフト・レザー(必要筋力7) 防御力7      ダメージ減少4  魔法:古代語魔法4レベル       魔力7  言語:(会話)共通語、西方語、下位古代語、上位古代語、エルフ語     (読解)共通語、西方語、下位古代語、上位古代語 ミスリル(エルフ、男、34歳) 器用度19(+3) 敏捷度21(+3) 知力18(+3) 筋力8(+1) 生命力9(+1) 精神力16(+2) 冒険者技能 シャーマン4 シーフ3 冒険者レベル 4 生命力抵抗力5 精神力抵抗力6  武器:ダガー(必要筋力4)    攻撃力6 打撃力4 追加ダメージ4   盾:なし            回避力6   鎧:ソフト・レザー(必要筋力4)防御力4      ダメージ減少4  魔法:精霊魔法4レベル       魔力7  言語:(会話)共通語、西方語、エルフ語、精霊語     (読解)共通語、西方語、エルフ語 レグディアナ(人間、女、19歳) 器用度19(+3) 敏捷度13(+2) 知力12(+2) 筋力21(+3) 生命力19(+3) 精神力14(+2) 冒険者技能 ファイター5 レンジャー3 冒険者レベル 5 生命力抵抗力8 精神力抵抗力7  武器:ヘビー・フレイル(必要筋力21)攻撃力7 打撃力31 追加ダメージ8   盾:なし             回避力6   鎧:プレート・メイル(必要筋力21)防御力21      ダメージ減少5  言語:(会話)共通語、西方語     (読解)共通語、西方語 デル・シータ(人間、女、12歳) 器用度14(+2) 敏捷度15(+2) 知力12(+2) 筋力7(+1) 生命力11(+1) 精神力12(+2) 冒険者技能 シーフ2 冒険者レベル 2 生命力抵抗力3 精神力抵抗力4  武器:ダガー(必要筋力3)    攻撃力4 打撃力3 追加ダメージ3   盾:なし            回避力4   鎧:ソフト・レザー(必要筋力3)防御力3      ダメージ減少2  言語:(会話)共通語、西方語     (読解)共通語、西方語 �闇《やみ》の王子�ジェノア(人間、男、29歳) 器用度18(+3) 敏捷度17(+2) 知力19(+3) 筋力16(+2) 生命力17(+2) 精神力20(+3) 冒険者技能 シーフ8、ダークプリースト5(ファラリス)、セージ6 冒険者レベル 8 生命力抵抗力10 精神力抵抗力11  武器:ショート・ソード(必要筋力8)攻撃力11 打撃力8 追加ダメージ10   盾:なし             回避力10   鎧:ソフト・レザー(必要筋力7) 防御力7      ダメージ減少8  魔法:暗黒《あんこく》魔法5レベル        魔力8  言語:(会話)共通語、西方語、下位古代語、東方語、ゴブリン語、インプ語     (読解)共通語、西方語、下位古代語、東方語 ウィーラン(ジャック・オー・ランタン)  ジャック・オー・ランタンのデータは『ソードワールドRPG上級ルール 分冊2』158ページ参照。 �英雄�バルティス(ゴースト)  ゴーストのデータは『ソードワールドRPG上級ルール 分冊2』154ページ参照。  ここでは生前のデータを挙げます。 器用度19(+3) 敏捷度21(+3) 知力16(+2) 筋力17(+2) 生命力18(+3) 精神力16(+2) 冒険者技能 シーフ8、セージ5 冒険者レベル 8 生命力抵抗力11 精神力抵抗力10  武器:ショート・ソード(必要筋力8)攻撃力11 打撃力8 追加ダメージ10     ダガー(必要筋力3)     攻撃力11 打撃力3 追加ダメージ10   盾:なし             回避力11   鎧:ハード・レザー(必要筋力8) 防御力8      ダメージ減少8  言語:(会話)共通語、西方語、下位古代語、東方語、ゴブリン語     (読解)共通語、西方語、下位古代語、東方語 [#改ページ] 底本 富士見ファンタジア文庫  ソードワールドノベル 君《きみ》を守《まも》りたい! サーラの冒険㈫  平成5年8月25日 初版発行  平成6年4月30日 五版発行  著者——山本《やまもと》 弘《ひろし》